まったくですよ。クソ真面目《まじめ》な色男気取りの議論が国をほろぼしたんです。気の弱いはにかみ屋ばかりだったら、こんな事にまでなりやしなかったんだ。」
われながら愚かしい意見だとは思ったが、言っているうちに、眼が熱くなって来た。
「竹内トキさん。」
と局員が呼ぶ。
「あい。」
と答えて、爺さんはベンチから立ち上る。みんな飲んでしまいなさい、と私はよっぽどかれに言ってやろうかと思った。
しかし、それからまもなく、こんどは私が、えい、もう、みんな飲んでしまおうと思い立った。私の貯金通帳は、まさか娘の名儀のものではないが、しかし、その内容は、或いは竹内トキさんの通帳よりもはるかに貧弱であったかも知れない。金額の正確な報告などは興覚めな事だから言わないが、とにかくその金は、何か具合いの悪い事でも起って、急に兄の家から立ち退《の》かなければならなくなったりした時に、あまりみじめな思いなどせずにすむように、郵便局にあずけて置いたものであった。ところがその頃、或る人からウィスキイを十本ばかりゆずってもらえるあてがついて、そのお礼には私の貯金のほとんど全部が必要のようであった。私はちょっと考えただけで、えい、みんな酒にしてしまえ、と思った。あとはまたあとで、どうにかなるだろう。どうにかならなかったら、その時にはまた、どうにかなるだろう。
来年はもう三十八だというのに、未だに私には、このように全然駄目なところがある。しかし、一生、これ式で押し通したら、また一奇観ではあるまいか、など馬鹿な事を考えながら郵便局に出かけた。
「旦那。」
れいの爺さんが来ている。
私が窓口へ行って払戻し用紙をもらおうとしたら、
「きょうは、うけ出しの紙は要《い》らないんでごいす。入金でごいす。」
と言って拾円紙幣のかなりの束《たば》を見せ、
「娘の保険がさがりまして、やっぱり娘の名儀でこんにち入金のつもりでごいす。」
「それは結構でした。きょうは、僕のほうが、うけ出しなんです。」
甚《はなは》だ妙な成り行きであった。やがて二人の用事はすんだが、私が現金支払いの窓口で手渡された札束は、何の事は無い、たったいま爺さんの入金した札束そのものであったので、なんだかひどく爺さんにすまないような気がした。
そうしてそれを或る人に手渡す時にも、竹内トキさんの保険金でウィスキイを買うような、へんな錯覚を
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