もお辞儀をした。苦心さんたんして持って来たんだぜ。久し振りだろう。牛の肉だ。」私は無邪気に誇った。
「くすりか何かのような気がして、」家の者は、おずおずと箸《はし》をつけた。「ちっとも食欲が起らないわ。」
「まあ、食べてみなさい。おいしいだろう? みんな食べなさい。僕は、たくさん食べて来たのだ。」
「お顔にかかわりますよ。」家の者は、意外な事を小声で言った。「私はそんなに食べたくもないのですから、女中さんに頭をさげたりなど、これからは、なさらないで下さい。」
 そう言われて私は、ちょっと具合がわるかったけれど、でも、安心の思いのほうが大きかった。たいへん安心したのである。大丈夫だ。もう家《うち》の食べものなど、全く心配しない事にしよう。「牛の肉だぞ」なんて、卑猥《ひわい》じゃないか。食べものに限らず、家の者の将来に就いても、全く安心していよう。これは、子供と一緒にかならず丈夫に育つ。ありがたいと思った。
 家の者達に就いては、いまは少しも心配していないので、毎日、私は気軽である。青空を眺めて楽しみ、煙草を吸い、それから努めて世の中の人たちにも優しくしている。
 三鷹の私の家には、大学生
前へ 次へ
全15ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング