も、鼻も、唇も、顎《あご》も、彫りきざんだように、線が、はっきりしていた。ちっとも、私と似ていやしない。「おつるの子です。お忘れでしょうか。母は、あなたの乳母をしていました。」
 はっきり言われて、あ、と思いあたった。飛びあがりたいほど、きつい激動を受けたのである。
「そうか。そうか。そうですか。」私は、自分ながら、みっともないと思われるほど、大きい声で笑い出した。「これあ、ひどいね。まったく、ひどいね。そうか。ほんとうですか?」他に、言葉は無かった。
「は、」幸吉も、白い歯を出して、あかるく笑った。「いつか、お逢いしたいと思っていました。」
 いい青年だ。これは、いい青年だ。私には、ひとめ見て、それがわかるのである。からだがしびれるほどに、謂《い》わば、私は、ばんざいであった。大歓喜。そんな言葉が、あたっている。くるしいほどの、歓喜である。
 私は生れ落ちるとすぐ、乳母にあずけられた。理由は、よくわからない。母のからだが、弱かったからであろうか。乳母の名は、つるといった。津軽半島の漁村の出である。未《ま》だ若い様《よう》であった。夫と子供に相ついで死にわかれ、ひとりでいるのを、私の家で見つけて、傭《やと》ったのである。この乳母は、終始、私を頑強に支持した。世界で一ばん偉いひとにならなければ、いけないと、そう言って教えた。つるは、私の教育に専念していた。私が、五歳、六歳になって、ほかの女中に甘えたりすると、まじめに心配して、あの女中は善い、あの女中は悪い、なぜ善いかというと、なぜ悪いかというと、と、いちいち私に大人の道徳を、きちんと坐って教えてくれたのを、私は、未《いま》だに忘れずに居る。いろいろの本を読んで聞かせて、片時も、私を手放さなかった。六歳、のころと思う。つるは私を、村の小学校に連れていって、たしか三年級の教室の、うしろにひとつ空《あ》いていた机に坐らせ、授業を受けさせた。読方《よみかた》は、できた。なんでもなく、できた。けれども、算術の時間になって、私は泣いた。ちっとも、なんにも、できないのである。つるも、残念であったにちがいない。私は、そのときは、つるに間《ま》がわるくて、ことにも大袈裟《おおげさ》に泣いたのである。私は、つるを母だと思っていた。ほんとうの母を、ああ、このひとが母なのか、とはじめて知ったのは、それからずっと、あとのことである。一夜、つる
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