小縒《かみこより》を作って五十組の羽織紐を素早く器用に編んで引出しに仕舞い、これは一家の者以後十年間の普段の羽織紐、息子の名は吉太郎というが、かねてその色白くなよなよしたからだつきが気にくわず、十四歳の時、やわらかい鼻紙を懐《ふところ》に入れているのを見て、末の見込み無しと即座に勘当《かんどう》を言い渡し、播州《ばんしゅう》には那波屋《なばや》殿という倹約の大長者がいるから、よそながらそれを見ならって性根をかえよ、と一滴の涙もなく憎々しく言い切って、播州の網干《あぼし》というところにいるその子の乳母の家に追い遣《や》り、その後、あるじの妹の一子を家にいれて二十五、六まで手代《てだい》同様にしてこき使い、ひそかにその働き振りを見るに、その仕末のよろしき事、すりきれた草履《ぞうり》の藁《わら》は、畑のこやしになるとて手許《てもと》にたくわえ、ついでの人にたのんで田舎の親元へ送ってやる程の珍らしい心掛けの若者であったから、大いに気にいり、これを養子にして家を渡し、さて、嫁はどんなのがいいかと聞かれて、その養子の答えるには、嫁をもらっても、私だとて木石《ぼくせき》ではなし、三十四十になってからふっと浮気《うわき》をするかも知れない、いや、人間その方面の事はわからぬものです、その時、女房《にょうぼう》が亭主《ていしゅ》に気弱く負けていたら、この道楽はやめがたい、私はそんな時の用心に、気違いみたいなやきもち焼きの女房をもらって置きたい、亭主が浮気をしたら出刃庖丁《でばぼうちょう》でも振りまわすくらいの悋気《りんき》の強い女房ならば、私の生涯《しょうがい》も安全、この万屋の財産も万歳だろうと思います、という事だったので、あるじは膝《ひざ》を打ち眼《め》を細くして喜び、早速四方に手をまわして、その父親が九十の祖母とすこし長話をしても、いやらし、やめよ、と顔色を変え眼を吊《つ》り上げ立ちはだかってわめき散らすという願ったり叶《かな》ったりの十六のへんな娘を見つけて、これを養子の嫁に迎え、自分ら夫婦は隠居して、家の金銀のこらず養子に心置きなくゆずり渡した。この養子、世に珍らしく仕末の生れつきながら、量り知られぬおびただしき金銀をにわかにわがものにして、さすがに上気し、四十はおろか三十にもならぬうちに、つき合いと称して少し茶屋酒をたしなみ、がらにもなく髪を撫《な》でつけ、足袋、草履など吟味しはじめたので、女房たちまち顔色を変え眼を吊り上げ、向う三軒両隣りの家の障子が破れるほどの大声を挙げ、
「あれあれ、いやらし。男のくせに、そんなちぢれ髪に油なんか附《つ》けて、鏡を覗《のぞ》き込んで、きゅっと口をひきしめたり、にっこり笑ったり、いやいやをして見たり、馬鹿《ばか》げたひとり芝居をして、いったいそれは何の稽古《けいこ》のつもりです、どだいあなたは正気ですか、わかっていますよ、あさましい。あたしの田舎の父は、男というものは野良姿《のらすがた》のままで、手足の爪《つめ》の先には泥《どろ》をつめて、眼脂《めやに》も拭《ふ》かず肥桶《こえおけ》をかついでお茶屋へ遊びに行くのが自慢だ、それが出来ない男は、みんな茶屋女の男めかけになりたくて行くやつだ、とおっしゃっていたわよ、そんなちぢれ髪を撫でつけて、あなたはそれで茶屋の婆芸者の男めかけにでもなる気なのでしょう、わかっていますよ、けちんぼのあなたの事ですから、なるべくお金を使わず、婆芸者にでも泣きついて男めかけにしてもらって、あわよくば向うからお小遣いをせしめてやろうという、いいえ、わかっていますよ、くやしかったら肥桶をかついでお出掛けなさい、出来ないでしょう、なんだいそんな裏だか表だかわからないような顔をして、鏡をのぞき込んでにっこり笑ったりして、ああ、きたない、そんな事をするひまがあったら鼻毛でも剪《つ》んだらどう? 伸びていますよ、くやしかったら肥桶をかついで、」とうるさい事、うるさい事。かねて、こんな時にこそ焼きもちを焼いてもらうために望んでめとった女房ではあったが、さて、実際こんな工合《ぐあ》いに騒がしく悋気を起されてみると、あまりいい気持のものでない。養父母の気にいられようと思って、悋気の強い女房こそ所望でございます、などと分別顔して言い出したばかりに、これは、とんでもない事になった、と今はひそかに後悔した。ぶん殴ってやろうかとも思うのだが、隠居座敷の老夫婦は、嫁の悋気がはじまるともう嬉《うれ》しくてたまらないらしく、老夫婦とも母屋《おもや》まで這《は》い出して来て、うふふと笑いながら、まあまあ、などといい加減な仲裁をして、そうして惚《ほ》れ惚《ぼ》れと嫁の顔を眺《なが》める仕末なので、ぶん殴るわけにもいかず、さりとて、肥桶をかついで遊びに出掛けるのも馬鹿々々しく思われ、腹いせに銭湯に出かけて、眼まいがするほど永く湯槽《ゆぶね》にひたって、よろめいて出て、世の中にお湯銭くらい安いものはない、今夜あそびに出掛けたら、どうしたって一両失う、お湯に酔うのも茶屋酒に酔うのも結局は同じ事さ、とわけのわからぬ負け惜しみの屁理窟《へりくつ》をつけて痩我慢《やせがまん》の胸をさすり、家へ帰って一合の晩酌《ばんしゃく》を女房の顔を見ないようにしてうつむいて飲み、どうにも面白《おもしろ》くないので、やけくそに大めしをくらって、ごろりと寝ころび、出入りの植木屋の太吉爺《たきちじい》を呼んで、美作の国の七不思議を語らせ、それはもう五十ぺんも聞いているので、腕まくらしてきょろきょろと天井板を眺めて別の事を考え、不意に思いついたように小間使いを呼んで足をもませ、女房の顔を見ると、むらむらっとして来て、おい、茶を持って来い、とつっけんどんに言いつけ、女房に茶碗《ちゃわん》をささげ持たせたまま、自分はやはり寝ながら頭を少しもたげ、手も出さずにごくごく飲んで、熱い、とこごとを言い、八つ当りしても、大将が夜遊びさえしなければ家の中は丸くおさまり、隠居はくすくす笑いながら宵《よい》から楽寝、召使いの者たちも、将軍内にいらっしゃるとて緊張して、ちょっと叔母のところへと怪しい外出をする丁稚《でっち》もなく、裏の井戸端《いどばた》で誰を待つやらうろうろする女中もない。番頭は帳場で神妙を装い、やたらに大福帳をめくって意味も無く算盤《そろばん》をぱちぱちやって、はじめは出鱈目《でたらめ》でも、そのうちに少しの不審を見つけ、本気になって勘定をし直し、長松は傍《そば》に行儀よく坐《すわ》ってあくびを噛《か》み殺しながら反古紙《ほごがみ》の皺をのばし、手習帳をつくって、どうにも眠くてかなわなくなれば、急ぎ読本《とくほん》を取出し、奥に聞えよがしの大声で、徳は孤ならず必ず隣あり、と読み上げ、下男の九助は、破れた菰《こも》をほどいて銭差《ぜにさし》を綯《な》えば、下女のお竹は、いまのうちに朝のおみおつけの実でも、と重い尻《しり》をよいしょとあげ、穴倉へはいって青菜を捜し、お針のお六は行燈《あんどん》の陰で背中を丸くしてほどきものに余念がなさそうな振りをしていて、猫《ねこ》さえ油断なく眼を光らせ、台所にかたりと幽《かす》かな音がしても、にゃあと鳴き、いよいよ財産は殖えるばかりで、この家安泰無事長久の有様ではあったが、若大将ひとり怏々《おうおう》として楽しまず、女房の毎夜の寝物語は味噌漬《みそづけ》がどうしたの塩鮭《しおざけ》の骨がどうしたのと呆《あき》れるほど興覚めな事だけで、せっかくお金が唸《うな》るほどありながら悋気の女房をもらったばかりに眼まいするほど長湯して、そうして味噌漬の話や塩鮭の話を拝聴していなければならぬ、おのれ、いまに隠居が死んだら、とけしからぬ事を考え、うわべは何気なさそうに立ち働き、内心ひそかによろしき時機をねらっていた。やがて隠居夫婦も寄る年波、紙小縒の羽織紐がまだ六本引出しの中に残ってあると言い遺《のこ》して老父まず往生すれば、老母はその引出しに羽織紐が四本しか無いのを気に病み、これも程なく後を追い、もはやこの家に気兼ねの者は無く、名実共に若大将の天下、まず悋気の女房を連れて伊勢参宮、ついでに京大阪を廻り、都のしゃれた風俗を見せ、野暮な女房を持ったばかりに亭主は人殺しをして牢《ろう》へはいるという筋の芝居を見せて、女房の悋気のつつしむべき所以《ゆえん》を無言の裡《うち》に教訓し、都のはやりの派手な着物や帯をどっさり買ってやったら女房は、女心のあさましく、国へ帰ってからも都の人に負けじと美しく装い茶の湯、活花《いけばな》など神妙らしく稽古《けいこ》して、寝物語に米味噌の事を言い出すのは野暮とたしなみ、肥桶をかついで茶屋遊びする人は無いものだという事もわかり、殊《こと》にも悋気はあさましいものと深く恥じ、
「あたしだって、悋気をいい事だとは思っていなかったのですけれど、お父さんやお母さんがお喜びになるので、ついあんな大声を挙げてわるかったわね。」と言葉までさばけた口調になって、「浮気は男の働きと言いますものねえ。」
「そうとも、そうとも。」男はここぞと強く相槌《あいづち》を打ち、「それについて、」ともっともらしい顔つきになり、「このごろ、どうも、養父養母が続いて死に、わしも、何だか心細くて、からだ工合いが変になった。俗に三十は男の厄年《やくどし》というからね、」そんな厄年は無い。「ひとつ、上方《かみがた》へのぼって、ゆっくり気保養でもして来ようと思うよ。」とんでもない「それについて」である。
「あいあい、」と女房は春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》たる面持《おももち》で、「一年でも二年でも、ゆっくり御養生しておいでなさい。まだお若いのですものねえ。いまから分別顔して、けちくさく暮していたら、永生き出来ませんよ。男のかたは、五十くらいから、けちになるといいのですよ。三十のけちんぼうは、早すぎます。見っともないわ。そんなのは、芝居では悪役ですよ。若い時には思い切り派手に遊んだほうがいいの。あたしも遊ぶつもりよ。かまわないでしょう?」と過激な事まで口走る。
亭主はいよいよ浮かれて、
「いいとも、いいとも。わしたちが、いくら遊んだって、ぐらつく財産じゃない。蔵の金銀にも、すこし日のめを見せてやらなくちゃ可哀想《かわいそう》だ。それでは、お言葉に甘えて一年ばかり、京大阪で気保養をして来ますからね。留守中は、せいぜい朝寝でもして、おいしいものを食べていなさい。上方のはやりの着物や帯を、どんどん送ってよこしますからね。」といやに優しい言葉遣いをして腹に一物《いちもつ》、あたふたと上方へのぼる。
留守中は女房、昼頃起きて近所のおかみたちを集めてわいわい騒ぎ、ごちそうを山ほど振舞っておかみたちの見え透いたお世辞に酔い、毎日着物を下着から全部取かえて着て、立ってくにゃりとからだを曲げて一座の称讃《しょうさん》を浴びれば、番頭はどさくさまぎれに、おのれの妻子の宅にせっせと主人の金を持ち運び、長松は朝から晩まで台所をうろつき、戸棚《とだな》に首を突込んでつまみ食い、九助は納屋《なや》にとじこもって濁酒を飲んで眼をどろんとさせて何やらお念仏に似た唄を口ずさみ、お竹は、鏡に向って両肌《もろはだ》を脱ぎ角力取《すもうと》りが狐拳《きつねけん》でもしているような恰好《かっこう》でやっさもっさおしろいをぬたくって、化物のようになり、われとわが顔にあいそをつかしてめそめそ泣き出し、お針のお六は、奥方の古着を自分の行李《こうり》につめ込んで、ぎょろりとあたりを見廻し、きせるを取り出して煙草《たばこ》を吸い、立膝《たてひざ》になってぶっと鼻から強く二本の煙を噴出させ、懐手《ふところで》して裏口から出て、それっきり夜おそくまで帰らず、猫《ねこ》は鼠《ねずみ》を取る事をたいぎがって、寝たまま炉傍《ろばた》に糞をたれ、家は蜘蛛《くも》の巣だらけ庭は草|蓬々《ぼうぼう》、以前の秩序は見る影も無くこわされて、旦那《だんな》はまた、上方に於いて、はじめは田舎者らしくおっかなびっくり茶屋にあがって、けちくさい遊びをたのしんでいたが、お世辞を言うために生れて来た茶屋の者たちに
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