も笑わず溜息をつき、「わしはもう、きょうから遊びをやめるよ。卒堵婆小町《そとばこまち》を眼前にありありと見ました。」
「出家でもしたいところだね。」と六右衛門はひとりごとのように言い、「わしはもう殺されるのではないかと思った。おちぶれた昔の友達ほどおそろしいものはない。路《みち》で逢っても、こちらから言葉をかけるのは遠慮すべきものかも知れない。誰だい、一ばん先に言葉をかけたのは。」
「わしではないよ。」と吉郎兵衛は口をとがらせて言い、「わしは、ただ、吉州にひとめ逢いたくて、それで。」と口ごもった。
「お前だよ。」と甚太夫は冷静な口調で、「お前が一ばんさきに走って行って、一ばんさきに声をかけて、おまけに、また、あいつの家へ連れて行ってくれなんて、つまらぬ事を言い出したのも、みんなお前じゃないか。つつしむべきは好色の念だねえ。」
「面目ない。」と吉郎兵衛は、素直にあやまり、「以後はふっつり道楽をやめる。」
「改心のついでに、その足もとに散らばっているお金を拾い集めたらどうだ。」と六右衛門は、八つ当りの不機嫌《ふきげん》で、「これだって天下の宝だ。むかし青砥左衛門尉藤綱《あおとさえもんのじょうふじつな》さまが、」
「滑川《なめりがわ》を渡りし時、だろう。わかった、わかった。わしは土方人足《どかたにんそく》というところか。さがしますよ、拾いますよ。」と吉郎兵衛は尻端折《しりばしょ》りして薄暗闇の地べたを這《は》い一歩金やらこまがねやらを拾い集めて、「こうして一つ一つにして拾ってみると、お金のありがたさがわかって来るよ。お前たちも、少し手伝ってごらん。まじめな気持ちになりますよ。」
さすが放埓《ほうらつ》の三人も、昔の遊び友達の利左の浅間しい暮しを見ては、うんざりして遊興も何も味気ないものに思われ、いささか分別ありげな顔になって宿へ帰り、翌《あく》る日から殊勝らしく江戸の神社仏閣をめぐって拝み、いよいよ明日は上方へ帰ろうという前夜、宿の者にたのんで少からぬ金子を谷中の利左の家へ持たせてやり、亭主は受け取るまいから、内儀にこっそり、とくどいくらいに念を押して言い含めてやったのだが、その使いの者は、しばらくして気の毒そうな顔をして帰り、お言いつけの家をたずねましたが、昨日、田舎へ立ちのいたとやら、いろいろ近所の者にたずねて廻っても、どこへ行ったのかついに行先きを突きとめる事が出来ませんでしたという口上で、三人はそれを聞いて利左の行末を思い、いまさらながら、ぞっとして、わが身の上も省《かえりみ》られ、ああ、もう遊びはよそう、と何だかわけのわからぬ涙を流して誓約し、いよいよ寒さのつのる木枯しに吹きまくられて、東海道を急ぎに急ぎ、おのおのわが家に帰りついてからは、人が変ったみたいにけち臭くよろずに油断のない男になり、ために色街は一時さびれたという、この章、遊興もほどほどに止《とど》むべしとの戒歟《いましめか》。
[#地から2字上げ](置土産、巻二の二、人には棒振虫同前に思はれ)
[#改ページ]
吉野山
拝啓。その後は、ごぶさたを申して居《お》ります。めでたく御男子御出生の由《よし》、大慶に存じます。いよいよ御家運|御隆昌《ごりゅうしょう》の兆《きざし》と、おうらやましく思います。御一家いきいきと御家業にはげみ、御夕食後の御団欒《ごだんらん》はまた格別の事でありましょう。このお正月は御男子御出生と二つお目出度が重《かさな》り、京の初春もわがものと思召《おぼしめ》し、ひとしお御一家の笑声も華やかに、昔の遊び仲間も集り、都の極上の酒を酌交《くみかわ》し、とかく楽しみは京の町人、それにつけても先年おろかな無分別を起して出家し、眼夢とやら名を変えて吉野の奥にわけ入った九平太は、いまどうしているかしらんと、さだめし一座の笑草になさった事でございましょうね。いや味《み》を申し上げているのではありません。眼夢、かくの如《ごと》く、いまはつくづく無分別の出家|遁世《とんせい》を後悔いたし、冬の吉野の庵室《あんしつ》に寒さに震えて坐《すわ》って居ります。思えば、私の遁世は、何の意味も無く、ただ親兄弟を泣かせ、そなた様をはじめ友人一同にも、無用の発心《ほっしん》やめ給《たま》え、と繁《しげ》く忠告致されましたが、とめられると尚更《なおさら》、意地になって是が非でも出家遁世しなければならぬような気持ちになり、とめるな、とめるな、浮世がいやになり申した、明日ありと思う心の仇桜《あだざくら》、など馬鹿《ばか》な事を喚《わめ》いて剃髪《ていはつ》してしまいまして、それからすぐそっと鏡を覗《のぞ》いてみたら、私には坊主頭《ぼうずあたま》が少しも似合わず、かねがね私の最も軽蔑《けいべつ》していた横丁の藪医者《やぶいしゃ》の珍斎にそっくりで、しかも私の頭のあちこちに小さい禿《はげ》があるのを、その時はじめて発見|仕《つかまつ》り、うんざりして、実は既にその時から少し後悔していたのです。白状のしついでに私の出家遁世の動機をも、いまは包まず申し上げますが、私はあなた様たちのお仲間にいれてもらって一緒にお茶屋などに遊びにまいりましても、ついに一度も、もてた事はなく、そのくせ遊びは好きで、あなた様たちの楽しそうな様子を見るにつけても、よし今夜こそはと店の金をごまかし血の出るような無理算段して、私のほうからあなた様たちをお誘い申し、そうしてやっぱり、私だけもてず、お勘定はいつも私が払い、その面白《おもしろ》くない事、或《あ》る夜やぶれかぶれになって、女に向い、「男は女にふられるくらいでなくちゃ駄目《だめ》なものだ」と言ったら、その女は素直に首肯《うなず》き、「本当に、そのお心掛けが大事ですわね」と真面目《まじめ》に感心したような口調で申しますので、立つ瀬が無く、「無礼者!」と大喝《だいかつ》して女を力まかせに殴り、諸行無常を観じ、出家にならねばならぬと覚悟を極《き》めた次第で、今日つらつら考えると私のような野暮で物欲しげで理窟《りくつ》っぽい男は、若い茶屋女に好かれる筈《はず》はなく、親爺《おやじ》のすすめる田舎女でも、おとなしくもらって置けばよかったとひとりで苦笑致して居ります。まことに山中のひとり暮しは、不自由とも何とも話にならぬもので、ごはんの煮たきは気持ちもまぎれて、まだ我慢も出来ますが、下着の破れを大あぐら掻《か》いて繕い、また井戸端《いどばた》にしゃがんでふんどしの洗濯《せんたく》などは、御不浄の仕末以上にもの悲しく、殊勝らしくお経をあげてみても、このお経というものも、聞いている人がいないとさっぱり張合いの無いもので、すぐ馬鹿らしくなって、ひとりで噴き出したりして、やめてしまいます。立ち上って吉野山の冬景色を見渡しても、都の人たちが、花と見るまで雪ぞ降りけるだの、春に知られぬ花ぞ咲きけるだの、いい気持ちで歌っているのとは事違い、雪はやっぱり雪、ただ寒いばかりで、あの嘘《うそ》つきの歌人めが、とむらむら腹が立って来ます。このように寒くては、墨染の衣一枚ではとてもしのぎ難《がた》く、墨染の衣の上にどてらをひっかけ、犬の毛皮を首に巻き、坊主頭もひやひやしますので寝ても起きても頬被《ほおかぶ》りして居ります。この犬の毛皮は、この山の下に住む里人から熊《くま》の皮だとだまされて、馬鹿高い値段で買わされたのですが、尻尾《しっぽ》がへんに長くてその辺に白い毛もまじっていますので、これは、白と黒のぶちの犬の皮ではないか、と後で里人に申しますと、その白いところは熊の月の輪という部分で、熊に依《よ》っては月の輪がお尻《しり》のほうについている、との返事で、あまりの事に私も何とも言葉が出ませんでした。本当に、この山の下の里人は、たちが悪くて、何かと私をだましてばかり居ります。諸行無常を観じて世を捨てた人には、金銭など不要のものと思いのほか、里人が持って来る米、味噌《みそ》の値段の高い事、高いと言えば、むっと怒ったような顔をして、すぐに品物を持帰るような素振りを見せて、お出家様が御不自由していらっしゃるかと思って一日ひまをつぶしてこんな山の中に重いものを持ち運んで来るだ、いやなら仕方が無い、とひとりごとのように言い、私も、この品が無ければ餓死するより他《ほか》は無いし、山を降りて他の里人にたのんでも同じくらいの値段を言い出すのはわかり切っていますし、泣き泣きその高い米、味噌を引きとらなければならないのです。山には木の実、草の実が一ぱいあって、それを気ままにとって食べてのんきに暮すのが山居の楽しみと心得ていましたが、聞いて極楽、見て地獄とはこの事、この辺の山野にはいずれも歴とした持主がありまして、ことしの秋に私がうっかり松茸《まつたけ》を二、三本取って、山の番人からもう少しで殴り殺されるようなひどい目に遭いました。この方丈の庵《いおり》も、すぐ近くの栗林《くりばやし》の番小屋であったのを、私が少からぬ家賃で借りて、庵の裏の五坪ばかりの畑だけが、まあ、わずかに私の自由になるくらいのもので、野菜も買うとなるとなかなか高いので、大根|人蔘《にんじん》の種を安くゆずってもらってこの裏の五坪の畑に播《ま》き、まことに興覚めな話で恐縮ですが、出家も尻端折《しりばしょ》りで肥柄杓《こえびしゃく》を振りまわさなければならぬ事もあり、その収穫は冬に備えて、縁の下に大きい穴を掘って埋めて置かなければならず、目前に一目千本の樹海を見ながら、薪《まき》はやっぱり里人から買わないと、いやな顔をされるし、ここへ来てにわかに浮世の辛酸を嘗《な》め、何のための遁世やら、さっぱりわけがわからなくなりました。遁世してこのようにお金がかかるものとは思いも寄らず、そんなにお金も持って来ませんでしたので、そろそろ懐中も心細くなり、何度下山を思い立ったかわかりません。けれども、一旦《いったん》、濁世《じょくせ》を捨てた法師が、またのこのこ濁世の親御の家へ帰って泣いておわびをするなどは古今に例の無い事のようにも思われますし、これでも、私にはまだ少し恥を知る気持も意地もあり、また、ここを立ちのくにしても、里人への諸支払いがだいぶたまって居りますし、いま借りて使っている夜具や炊事道具を返すに当ってもまた金銭のややこしい問題が起るのではなかろうかと思えば、下山の決心もにぶります。と言えば、少していさいもいいけれども、実はもう一つ、とても私がいますぐ下山できないつらい理由があるのです。京の私の家のことし八十八歳になるばばさまが、大事のへそくりの百両を、二十年ほど前に小さい茶壺《ちゃつぼ》にいれて固く蓋《ふた》をして、庭の植込みの奥深く、三本ならびの杉《すぎ》の木の下に昔から屋敷に伝っているささやかなお稲荷《いなり》のお堂があって、そのお堂の縁の下にお盆くらいの大きさの平たい石があるのですが、その石の下にです、れいの茶壺を埋めて置いて、朝から日の暮れるまでに三度、夜寝る前に一度、日に都合四度ずつ竹の杖《つえ》をついて庭を見廻《みまわ》る振りをして、人知れず植込みの奥に眼《め》を光らせてはいって行き、その隠し場所の安泰をたしかめ、私がまだ五つ六つの時分は、ばばさまにたいへん可愛《かわい》がられてもいましたし、また私をほんの子供と思って気をゆるしていたのでございましょう、或る日、私を植込みの奥に連れて行き、その縁の下の石を指差して、あの下に百両あるぞ、ばばを大事にした者に半分、いやいや一割あげるぞ、と嗄《しわが》れた声で言いまして、私はそれ以来どうにもその石の下が気になってたまらず、二十年後あなた様たちに遊びを教えられて、たちまち金に窮して悪心起り、とうとう一夜、月の光をたよりに石の下を掘り起し、首尾よく茶壺を見つけて、その中から三十両ばかり無断で拝借して、またもとのように茶壺を埋め、上に石を載せて置き、ばばさまに見つかるかと、ひやひやしてしばらくは御飯ものどにとおらず、天を拝し地に伏してひたすら無事を念じ、ばばさまはやっぱりお年のせいか、あのように眼を光らせても石の下まで見抜く事は出来なかった様子で、毎日四度ずつ調べに行っても平気
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