の表裏に書きしたためて、その日その日の憂《う》さを晴らしている有様だったので、この突然の申込みにはじめは少からず面くらったものの、さて、眼前に山と積まれた金銀財宝を眺めて、これだけあれば、ふたたび大官に饗応し、華やかに世に浮び上る事が出来るぞと、れいの虚栄心がむらむらと起り、髭そうろうの大尽といえば、いま此《こ》の京でも評判の男、なんでも遠いあずまの大金持ちの若旦那《わかだんな》だとかいう話だ、田舎者だって何だって金持ちなら結構、この縁談は悪くない、と貧すれば貪《どん》すの例にもれず少からず心が動いて、その日はお使者に大いに愛嬌《あいきょう》を振りまき、確答は後日という事にして、とにかくきょうのお土産の御礼にそちらの御主人の宿舎へ明日参上致します、という返辞。手下たちは、しめた、あの工合《ぐあ》いではもう大丈夫、と帰る途々《みちみち》首肯《うなず》き合い、主人にその様子を言上すれば、山賊の統領はにやりと凄《すご》く笑い、案外もろく候、と言った。その翌る日、土塀の老主人は、烏帽子《えぼし》などかぶってひどくもったいぶった服装で山賊の京の宿舎を訪ね、それこそほんものの候言葉で、昨日のお礼を申し、統領の鷹揚な挙措や立派な口髭に一目で惚《ほ》れ込み、お礼だけ言う筈《はず》のところを、つい、ふつつかな娘ながら、とこちらのほうから言い出して、山賊の統領もさすがに都の人の軽薄に苦笑して、それでもその日の饗応は山の如く、お土産も前日にまさる多額のもので、土塀のあるじはただもう雲中を歩む思いで烏帽子を置き忘れて帰宅し、娘を呼んで、女|三界《さんがい》に家なし、ここはお前の家ではない、お前の弟がこの家を継ぐのだからお前はこの家には不要である、女三界に家なしとはここのところだ、とひどい乱暴な説教をして娘を泣かせ、何を泣くか、お父さんはお前のために立派な婿《むこ》を見つけて来てあげたのに、めそめそ泣くとは大不孝、と中風の気味で震える腕を振りあげて娘を打つ真似《まね》をして、都の人は色は白いが貧乏でいけない、あずまの人は毛深くて間の抜けた顔をしているが女にはあまいようだ、行きなさい、すぐに山奥へでもどこへでも行きなさい、死んだお母さんもよろこぶだろう、お父さんの事は心配するな、わしはこれからまた一旗挙げるのだ、承知か、おお、承知してくれるか、女三界に家なし、どこにいたって駄目なものだよ、などと変な事まで口走り、婿の氏素性《うじすじょう》をろくに調べもせず、とにかくいま都で名高い髭そうろうの大尽だから間違い無しと軽率にひとり合点《がてん》して有頂天のうちにこの縁談をとりきめ、十七の娘は遠いあずまのそれも蝦夷《えぞ》の土地と聞く陸奥へ嫁《とつ》がなければならぬ身の因果を歎《なげ》き、生きた心地も無くただ泣きに泣いて駕籠《かご》に乗せられ、父親ひとりは浅間しく大はしゃぎで、あやうい腰つきで馬に乗り都のはずれまで見送り、ひたすら自分の今後の立身出世を胸中に思い描いてわくわくして、さらば、さらば、とわかれの挨拶《あいさつ》も上の空で言い、家へ帰って五日目に心臓|痲痺《まひ》[#「痲痺」は底本では「痳痺」]を起して頓死《とんし》したとやら、ひとの行末は知れぬもの。一方、十七の娘は、父のあわれな急死も知らず駕籠にゆられて東路《あずまじ》をくだり、花婿の髭をつくづく見ては言いようのない恐怖におそわれて泣き、手下の乱暴な東北言葉に胆《きも》をつぶして泣き、江戸を過ぎてようよう仙台ちかくなって春とはいえ未《ま》だ山には雪が残っているのを見て泣き、山賊たちをひどく手こずらせて、古巣の山寨《さんさい》にたどり着いた頃には、眼を泣きはらして猿《さる》の顔のようになり、手下の山賊たちは興覚めたが、統領はやさしくみずから看護して、その眼のなおった頃には娘も、統領に少しなついて落ちつき、東北言葉もだんだんわかるようになって、山賊の手下たちの無智《むち》な冗談に思わず微笑《ほほえ》み、やがて夫の悪い渡世を知るに及んで、ぎくりとしたものの、女三界に家なし、ここをのがれても都の空の方角さえ見当つかず、女はこうなると度胸がよい、ままよと観念して、夫には優しくされ手下の者たちには姐御《あねご》などと言われてかしずかれると、まんざら悪い気もせず、いつとはなしに悪にそまり、亭主《ていしゅ》のする事なす事なんでも馬鹿《ばか》らしく見えて仕様のない女房《にょうぼう》もあり、また、亭主の行為がいちいち素晴らしい英雄的なものに見えてたまらない女房もあり、いずれも悪妻、この京育ちの美女は後者に属しているらしく、夫の憎むべき所業も見馴《みな》れるに随《したが》い何だか勇しくたのもしく思われて来て、亭主が一仕事して帰るといそいそ足など洗ってやり、きょうの獲物は何、と笑って尋ね、旅人から奪って来た小袖《こそで》をひろげて、これは私には少し派手よ、こんどはも少し地味なのをたのむわ、と言ってけろりとして、手下どものむごい手柄話《てがらばなし》を眼を細めて聞いてよろこび、後には自分も草鞋《わらじ》をはいて夫について行き、平気で悪事の手伝いをして、いまは根からのあさましい女山賊になりさがり、顔は以前に変らず美しかったが眼にはいやな光りがあり、夫の山刀を井戸端《いどばた》にしゃがんで熱心に研《と》いでいる時の姿などには鬼女のような凄《すご》い気配が感ぜられた。やがてこの鬼女も身ごもり、生れたのは女の子で春枝と名づけられ、色白く唇《くちびる》小さく赤い、京風の美人、それから二年|経《た》って、またひとり女の子が生れ、お夏と呼ばれて、父に似て色浅黒く眼が吊《つ》り上ったきかぬ気の顔立ちの子で、この二人は自分の母が京の公卿の血を受けたひとだという事など知る筈もなく、氏より育ちとはまことに人間のたより無さ、生れ落ちたこの山奥が自分たちの親代々の故郷とのんきに合点して、鬼の子らしく荒々しく山坂を駈《か》け廻《まわ》って遊び、その遊びもままごとなどでは無く、ひとりは旅人、ひとりは山賊、おい待て、命が惜しいか金が惜しいかとひとりが言えば、ひとりは助けて! と叫んでけわしい崖《がけ》をするする降りて逃げるを、待て待て、と追ってつかまえ大笑いして、母親はこれを見て悲しがるわけでもなく、かえって薙刀《なぎなた》など与えて旅人をあやめる稽古《けいこ》をさせ、天を恐れぬ悪業、その行末もおそろしく、果せる哉《かな》、春枝十八お夏十六の冬に、父の山賊に天罰下り、雪崩《なだれ》の下敷になって五体の骨々|微塵《みじん》にくだけ、眼もあてられぬむごたらしい死にざまをして、母子なげく中にも、手下どもは悪人の本性をあらわして親分のしこたまためた金銀財宝諸道具食料ことごとく持ち去り、母子はたちまち雪深い山中で暮しに窮した。
「何でもないさ。」と勝気のお夏は威勢よく言って母と姉をはげまし、「いままで通り、旅人をやっつけようよ。」
「でも、」と妹にくらべて少しおとなしい姉の春枝は分別ありげに、「女ばかりじゃ、駄目よ。かえってあたしたちのほうで着物をはぎとられてしまうわよ。」
「弱虫、弱虫。男の身なりをして刀を持って行けばなんでもない。やいこら、とこんな工合いに男のひとみたいな太い声で呼びとめると、どんな旅人だって震え上るにきまっている。でも、おさむらいはこわいな。じいさんばあさんか、女のひとり旅か、にやけた商人か、そんな人たちを選んでおどかしたら、きっと成功するわよ。面白《おもしろ》いじゃないの。あたしは、あの熊の毛皮を頭からかぶって行こう。」無邪気と悪魔とは紙一重である。
「うまくいくといいけど、」と姉は淋《さび》しげに微笑んで、「とにかくそれじゃ、やって見ましょう。あたしたちは、どうでもいいけど、お母さんにお怪我《けが》があっては大変だから、お母さんはお留守番して、あたしたちの獲物をおとなしく待っているのよ。」と母に言い、山育ちの娘も本能として、少しは親を大事にする気持があるらしく、その日から娘二人は、山男の身なりで、おどけ者の妹は鍋墨《なべずみ》で父にそっくりの口髭《くちひげ》など描いて出かけ、町人里人の弱そうな者を捜し出してはおどし、女心はこまかく、懐中の金子《きんす》はもとより、にぎりめし、鼻紙、お守り、火打石、爪楊子《つまようじ》のはてまで一物も余さず奪い、家へ帰って、財布の中の金銀よりは、その財布の縞柄《しまがら》の美しきを喜び、次第にこのいまわしき仕事にはげみが出て来て、もはや心底からのおそろしい山賊になってしまったものの如く、雪の峠をたまに通る旅人を待ち伏せているだけでは獲物が少くてつまらぬなどと、すっかり大胆になって里近くまで押しかけ、里の女のつまらぬ櫛笄《くしこうがい》でも手に入れると有頂天になり、姉の春枝は既に十八、しかも妹のお転婆《てんば》にくらべて少しやさしく、自身の荒くれた男姿を情無く思う事もあり、熊の毛皮の下に赤い細帯などこっそりしめてみたりして、さすがにわかい娘の心は動いて、或る日、里近くで旅の絹商人をおどして得た白絹二反、一反ずつわけていそいそ胸に抱いて夕暮の雪道を急ぎ帰る途中に於いて、この姉の考えるには、もうそろそろお正月も近づいたし、あたしは是非とも晴衣《はれぎ》が一枚ほしい、女の子はたまには綺麗《きれい》に着飾らなければ生きている甲斐《かい》が無い、この白絹を藤色《ふじいろ》に染め、初春の着物を仕立てたいのだが裏地が無い、妹にわけてやった絹一反あれば見事な袷《あわせ》が出来るのに、と矢もたてもたまらず、さいぜんわけてやった妹の絹が欲しくなり、
「お夏や、お前この白絹をどうする気なの?」と胸をどきどきさせながら、それとなく聞いてみた。
「どうするって、姉さん、あたしはこれで鉢巻《はちまき》をたくさんこしらえるつもりなの。白絹の鉢巻は勇しくって、立派な親分さんみたいに見えるわよ。お父さんも、お仕事の時には絹の白鉢巻をしてお出かけになったわね。」とたわい無い事を言っている。
「まあ、そんな、つまらない。ね、いい子だから、姉さんにそれをゆずってくれない? こんど、何かまたいいものが手にはいった時には姉さんは、みんなお前にあげるから。」
「いやよ。」と妹は強く首を振った。「いや、いや。あたしは前から真白な鉢巻をほしいと思っていたのよ。旅人をおどかすのに、白鉢巻でもしてないと気勢があがらなくて工合いがわるいわ。」
「そんな馬鹿な事を言わないで、ね、後生《ごしょう》だから。」
「いや! 姉さん、しつっこいわよ。」
へんに気まずくなってしまった。けれども姉はそんなに手きびしく断られるといよいよ総身が燃え立つように欲しくなり、妹に較《くら》べておとなしいとはいうものの、普段おとなしい子こそ思いつめた時にかえって残酷のおそろしい罪を犯す。殊《こと》にも山賊の父から兇悪《きょうあく》の血を受け、いまは父の真似して女だてらに旅人をおどしてその日その日を送り迎えしている娘だ。胸がもやもやとなり、はや、人が変り、うわべはおだやかに笑いながら、
「ごめんね、もう要らないわよ。」と言ってあたりを見廻し、この妹を殺して絹を奪おう、この腰の刀で旅人を傷つけた事は一度ならずある、ついでに妹を斬《き》って捨てても、罪は同じだ、あたしは何としても、晴衣を一枚つくるのだ、こんどに限らず、帯でも櫛でもせっかくの獲物をこんな本当の男みたいな妹と二人でわけるのは馬鹿らしい、むだな事だ、にくい邪魔、突き刺して絹を取り上げ、家へ帰ってお母さんに、きょうは手剛《てごわ》い旅人に逢《あ》い、可哀想《かわいそう》に妹は殺されましたと申し上げれば、それですむ事、そうだ、少しも早くと妹の油断を見すまし、刀の柄《つか》に手を掛けた、途端に、
「姉さん! こわい!」と妹は姉にしがみつき、
「な、なに?」と姉はうろたえて妹に問えば妹は夕闇《ゆうやみ》の谷底を指差し、見れば谷底は里人の墓地、いましも里の仏を火葬のさいちゅう、人焼く煙は異様に黒く、耳をすませば、ぱちぱちはぜる気味悪い音も聞えて、一陣の風はただならぬ匂《にお》いを吹き送り、さすがの女賊たちも全身|鳥肌《とりはだ》
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