な人たちに全部わけてやってしまう。だから近所の貧乏人たちは、なまけてばかりいて、鯛《たい》の塩焼などを食べているくらいであった。決して吝嗇《りんしょく》な人ではないのである。国のために質素倹約を率先|躬行《きゅうこう》していたわけなのである。主人の時頼というひともまた、その母の松下禅尼《まつしたぜんに》から障子の切り張りを教えられて育っただけの事はあって、酒のさかなは味噌《みそ》ときめているほど、なかなか、しまつのいいひとであったから、この主従二人は気が合った。そもそもこの青砥左衛門尉藤綱を抜擢《ばってき》して引付衆《ひきつけしゅう》にしてやったのは、時頼である。青砥が浪々《ろうろう》の身で、牛を呶鳴《どな》り、その逸事が時頼の耳にはいり、それは面白い男だという事になって引付衆にぬきんでられたのである。すなわち、川の中で小便をしている牛を見て青砥は怒り、
「さてさて、たわけた牛ではある。川に小便をするとは、もったいない。むだである。畑にしたなら、よい肥料になるものを。」と地団駄《じだんだ》踏んで叫喚《きょうかん》したという。
 真面目《まじめ》な人なのである。銭十一文を川に落して竜宮ま
前へ 次へ
全209ページ中99ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング