。しかし、人を恨んで死ぬのは、地獄の種だ。お情の百両をわが身の油断から紛失した申しわけに死ぬのならば、わしにも覚悟はあるが。」
「理窟《りくつ》はどうだって、いいじゃないの。あたしは地獄へ落ちたっていい。恨み死を致します。こんなひどい仕打ちをされて、世間のもの笑いになってなお生き延びるなんて事はとても出来ません。」
「よし、もう言うな。死にやいいんだ。かりそめにも一夜の恩人たちを訴えるわけにもいかず、いや疑う事さえ不埒《ふらち》な事だ、さりとてこのまま生き延びる工夫もつかず、女房、何も言わずに、わしと一緒に死のうじゃないか。この世ではそなたにも苦労をかけたが、夫婦は二世と言うぞ。」
 一寸さきは闇《やみ》の世の中、よろこびの宴の直後に、徳兵衛夫婦は死ぬる相談、二人の子供も、道づれと覚悟を極《き》め、女房は貧のうちにも長持の底に残してあった白小袖《しろこそで》に身を飾り、鏡に向い若い時から人にほめられた黒髪を撫《な》でつけながら、まことに十九年のなじみ此《こ》のあけぼのの夢と歎《なげ》き、気を取り直して二人の子供をしずかに引起せば、上の女の子は、かかさま、もうお正月か、と寝呆《ねぼ》け、
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