》め切れぬのである。いったい、何文落したのだろう。けさ家を出る時に、いつものとおり小銭四十文、二度くりかえして数えてたしかめ、この火打袋に入れて、それから役所で三文使った。それゆえ、いまこの火打袋には三十七文残っていなければならぬ筈《はず》だが、こぼれ落ちたのは十文くらいであろうか。とにかく、火打袋の中の残金を調べてみるとわかるのだが、川の真中で銭の勘定は禁物である。向う岸に渡ってから、調べてみる事にしよう。青砥は惨《みじ》めにしょげかえり、深い溜息《ためいき》をつき、うなだれて駒をすすめた。岸に着いて馬より降り、河原の上に大あぐらをかき、火打袋の口を明けて、ざらざらと残金を膝《ひざ》の間にぶちまけ、背中を丸くして、ひいふうみい、と小声で言って数えはじめた。二十六文残っていた。うむ、さすれば川へ落したのは、十一文にきわまった、惜しい、いかにも、惜しい、十一文といえども国土の重宝、もしもこのまま捨て置かば、かの十一文はいたずらに川底に朽ちるばかりだ、もったいなし、おそるべし、とてもこのままここを立ち去るわけにはいかぬいかぬ、たとえ地を裂き、地軸を破り、竜宮《りゅうぐう》までも是非にたずねて取返さん、とひどい決意を固めてしまった。
 けれども青砥は、決して卑《いや》しい守銭奴《しゅせんど》ではない。質素倹約、清廉《せいれん》潔白の官吏である。一汁《いちじゅう》一菜《いっさい》、しかも、日に三度などは食べない。一日に一度たべるだけである。それでもからだは丈夫である。衣服は着たきりの一枚。着物のよごれが見えぬように、濃茶の色に染めさせている。真黒い着物は、かえって、よごれが目立つものだそうである。濃茶の色の、何だかひどく厚ぼったい布地の着物だ。一生その着物いちまいで過した。刀の鞘《さや》には漆を塗らぬ。墨をまだらに塗ってある。主人の北条時頼《ほうじょうときより》も、見るに見かねて、
「おい、青砥。少し給料をましてやろうか。お前の給料をもっとよくするようにと夢のお告げがありました。」と言ったら、青砥はふくれて、
「夢のお告げなんて、あてになるものじゃありません。そのうちに、藤綱の首を斬《き》れというお告げがあったら、あなたはどうします。きっと私を斬る気でしょう。」と妙な理窟《りくつ》を言って、加俸《かほう》を断った。慾《よく》の無い人である。給料があまったら、それを近所の貧乏な人たちに全部わけてやってしまう。だから近所の貧乏人たちは、なまけてばかりいて、鯛《たい》の塩焼などを食べているくらいであった。決して吝嗇《りんしょく》な人ではないのである。国のために質素倹約を率先|躬行《きゅうこう》していたわけなのである。主人の時頼というひともまた、その母の松下禅尼《まつしたぜんに》から障子の切り張りを教えられて育っただけの事はあって、酒のさかなは味噌《みそ》ときめているほど、なかなか、しまつのいいひとであったから、この主従二人は気が合った。そもそもこの青砥左衛門尉藤綱を抜擢《ばってき》して引付衆《ひきつけしゅう》にしてやったのは、時頼である。青砥が浪々《ろうろう》の身で、牛を呶鳴《どな》り、その逸事が時頼の耳にはいり、それは面白い男だという事になって引付衆にぬきんでられたのである。すなわち、川の中で小便をしている牛を見て青砥は怒り、
「さてさて、たわけた牛ではある。川に小便をするとは、もったいない。むだである。畑にしたなら、よい肥料になるものを。」と地団駄《じだんだ》踏んで叫喚《きょうかん》したという。
 真面目《まじめ》な人なのである。銭十一文を川に落して竜宮までもと力むのも、無理のない事である。残りの二十六文を火打袋におさめて袋の口の紐《ひも》を固く結び、立ち上って、里人をまねき、懐中より別の財布を取出し、三両出しかけて一両ひっこめ、少し考えて、うむと首肯《うなず》き、またその一両を出して、やっぱり三両を里人に手渡し、この金で、早く人足十人ばかりをかり集めて来るように言いつけ、自分は河原に馬をつなぎ、悠然《ゆうぜん》と威儀をとりつくろって大きな岩に腰をおろした。すでに薄暮である。明日にのばしたらどういうものか。けれども、それは出来ない事だ。捜査を明日にのばしたならば、今夜のうちにもあの十一文は川の水に押し流され、所在不分明となって国土の重宝を永遠に失うというおそろしい結果になるやも知れぬ。銭十一文のちりぢりにならぬうち、一刻も早く拾い集めなければならぬ。夜を徹したってかまわぬ。暗い河原にひとり坐《すわ》って、青砥は身じろぎもしなかった。
 やがて集って来た人足どもに青砥は下知して、まず河原に火を焚《た》かせ、それから人足ひとりひとりに松明《たいまつ》を持たせ冷たい水にはいらせて銭十一文の捜査をはじめさせた。松明の光に映えて秋の流れは夜の錦《
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