《しわ》をのばして、傘《かさ》は無いか、足袋は無いか、押入れに首をつっ込んで、がらくたを引出し、浴衣《ゆかた》に陣羽織という姿の者もあり、単衣《ひとえ》を五枚重ねて着て頸《くび》に古綿を巻きつけた風邪気味と称する者もあり、女房の小袖《こそで》を裏返しに着て袖の形をごまかそうと腕まくりの姿の者もあり、半襦絆《はんじゅばん》に馬乗袴《うまのりばかま》、それに縫紋の夏羽織という姿もあり、裾《すそ》から綿のはみ出たどてらを尻端折《しりばしょり》して毛臑《けずね》丸出しという姿もあり、ひとりとしてまともな服装の者は無かったが、流石《さすが》に武士の附《つ》き合いは格別、原田の家に集って、互いの服装に就いて笑ったりなんかする者は無く、いかめしく挨拶《あいさつ》を交し、座が定ってから、浴衣に陣羽織の山崎老がやおら進み出て主人の原田に、今宵の客を代表して鷹揚《おうよう》に謝辞を述べ、原田も紙衣の破れた袖口を気にしながら、
「これは御一同、ようこそ。大みそかをよそにして雪見酒も一興かと存じ、ごぶさたのお詫《わ》びも兼ね、今夕お招き致しましたところ、さっそくおいで下さって、うれしく思います。どうか、ごゆるり。」と言って、まずしいながら酒肴《しゅこう》を供した。
客の中には盃《さかずき》を手にして、わなわな震える者が出て来た。いかがなされた、と聞かれて、その者は涙を拭《ふ》き、
「いや、おかまい下さるな。それがしは、貧のため、久しく酒に遠ざかり、お恥ずかしいが酒の飲み方を忘れ申した。」と言って、淋《さび》しそうに笑った。
「御同様、」と半襦絆に馬乗袴は膝《ひざ》をすすめ、「それがしも、ただいま、二、三杯つづけさまに飲み、まことに変な気持で、このさきどうすればよいのか、酒の酔い方を忘れてしまいました。」
みな似たような思いと見えて、一座しんみりして、遠慮しながら互いに小声で盃のやりとりをしていたが、そのうちに皆、酒の酔い方を思い出して来たと見えて、笑声も起り、次第に座敷が陽気になって来た頃《ころ》、主人の原田はれいの小判十両の紙包を取出し、
「きょうは御一同に御|披露《ひろう》したい珍物がございます。あなたがたは、御懐中の御都合のわるい時には、いさぎよくお酒を遠ざけ、つつましくお暮しなさるから、大みそかでお困りにはなっても、この原田ほどはお苦しみなさるまいが、わしはどうも、金に困るとなおさら酒を飲みたいたちで、そのために不義理の借金が山積して年の瀬を迎えるたびに、さながら八大地獄を眼前に見るような心地が致す。ついには武士の意地も何も捨て、親戚に泣いて助けを求めるなどという不面目の振舞いに及び、ことしもとうとう、身寄りの者から、このとおり小判十両の合力を受け、どうやら人並の正月を迎える事が出来るようになりましたが、この仕合せをわしひとりで受けると果報負けがして死ぬかも知れませんので、きょうは御一同をお招きして、大いに飲んでいただこうと思い立った次第であります。」と上機嫌《じようきげん》で言えば、一座の者は思い思いの溜息《ためいき》をつき、
「なあんだ、はじめからそうとわかって居れば、遠慮なんかしなかったのに。あとで会費をとられるんじゃないか、と心配しながら飲んで損をした。」と言う者もあり、
「そう承れば、このお酒をうんと飲み、その仕合せにあやかりたい。家へ帰ると、思わぬところから書留が来ているかも知れない。」と言う者もあり、
「よい親戚のある人は仕合せだ。それがしの親戚などは、あべこべにそれがしの懐《ふところ》をねらっているのだから、つまらない。」と言う者もあり、一座はいよいよ明るくにぎやかになり、原田は大恐悦で、鬚の端の酒の雫《しずく》を押し拭《ぬぐ》い、
「しかし、しばらく振りで小判十両、てのひらに載せてみると、これでなかなか重いものでございます。いかがです、順々にこれを、てのひらに載せてやって下さいませんか。お金と思えばいやしいが、これは、お金ではございません。これ、この包紙にちゃんと書いてあります。貧病の妙薬、金用丸、よろずによし、と書いてございます。その親戚の奴《やつ》が、しゃれてこう書いて寄こしたのですが、さあ、どうぞ、お廻《まわ》しになって御覧になって下さい。」と、小判十枚ならびに包紙を客に押しつけ、客はいちいちその小判の重さに驚き、また書附けの軽妙に感服して、順々に手渡し、一句浮びましたという者もあり、筆硯《ひっけん》を借りてその包紙の余白に、貧病の薬いただく雪あかり、と書きつけて興を添え、酒盃《しゅはい》の献酬もさかんになり、小判は一まわりして主人の膝許《ひざもと》にかえった頃に、年長者の山崎は坐《すわ》り直し、
「や、おかげさまにてよい年忘れ、思わず長座を致しました。」と分別顔してお礼を言い、それでは、と古綿を頸に巻きつけた風邪
前へ
次へ
全53ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング