れの御人格。原田内助、敬服いたした。その御立派なお方が、この七人の中にたしかにいるのです。名乗って下さい。堂々と名乗って出て下さい。」
 そんなにまで言われると、なおさら、その隠れた善行者は名乗りにくくなるであろう。こんなところは、やっぱり原田内助、だめな男である。七人の客は、いたずらに溜息をつき、もじもじしているばかりで、いっこうに埒《らち》があかない。せっかくの酒の酔いも既に醒《さ》め、一座は白け切って、原田ひとりは血走った眼をむき、名乗り給え、名乗り給え、とあせって、そのうちに鶏鳴あかつきを告げ、原田はとうとう、しびれを切らし、
「ながくおひきとめも、無礼と存じます。どうしても、お名乗りが無ければ、いたしかたがない。この一両は、この重箱の蓋に載せて、玄関の隅に置きます。おひとりずつ、お帰り下さい。そうして、この小判の主は、どうか黙って取ってお持ち帰り願います。そのような処置は、いかがでしょう。」
 七人の客は、ほっとしたように顔を挙げて、それがよい、と一様に賛意を表した。実際、愚図の原田にしては、大出来の思いつきである。弱気な男というものは、自分の得にならぬ事をするに当っては、時たま、このような水際立《みずぎわだ》った名案を思いつくものである。
 原田は少し得意。皆の見ている前で、重箱の蓋に、一両の小判をきちんと載せ、玄関に置いて来て、
「式台の右の端、最も暗いところへ置いて来ましたから、小判の主でないお方には、あるか無いか見定める事も出来ません。そのままお帰り下さい。小判の主だけ、手さぐりで受取って何気なくお帰りなさるよう。それでは、どうぞ、山崎老から。ああ、いや、襖《ふすま》はぴったりしめて行って下さい。そうして、山崎老が玄関を出て、その足音が全く聞えなくなった時に、次のお方がお立ち下さい。」
 七人の客は、言われたとおりに、静かに順々に辞し去った。あとで女房は、手燭《てしょく》をともして、玄関に出て見ると、小判は無かった。理由のわからぬ戦慄《せんりつ》を感じて、
「どなたでしょうね。」と夫に聞いた。
 原田は眠そうな顔をして、
「わからん。お酒はもう無いか。」と言った。
 落ちぶれても、武士はさすがに違うものだと、女房は可憐《かれん》に緊張して勝手元へ行き、お酒の燗に取りかかる。
[#地から2字上げ](諸国はなし、巻一の三、大晦日《おほつごもり》はあはぬ算用)
[#改ページ]

   大力

 むかし讃岐《さぬき》の国、高松に丸亀《まるがめ》屋とて両替屋を営み四国に名高い歴々の大長者、その一子に才兵衛《さいべえ》とて生れ落ちた時から骨太く眼玉《めだま》はぎょろりとしてただならぬ風貌《ふうぼう》の男児があったが、三歳にして手足の筋骨いやに節くれだち、無心に物差しを振り上げ飼猫《かいねこ》の頭をこつんと打ったら、猫は声も立てずに絶命し、乳母は驚き猫の死骸《しがい》を取上げて見たら、その頭の骨が微塵《みじん》に打ち砕かれているので、ぞっとして、おひまを乞《こ》い、六歳の時にはもう近所の子供たちの餓鬼大将で、裏の草原につながれてある子牛を抱きすくめて頭の上に載せその辺を歩きまわって見せて、遊び仲間を戦慄《せんりつ》させ、それから毎日のように、その子牛をおもちゃにして遊んで、次第に牛は大きくなっても、はじめからかつぎ慣れているものだから何の仔細《しさい》もなく四肢《しし》をつかまえて眼より高く差し上げ、いよいよ牛は大きくなり、才兵衛九つになった頃《ころ》には、その牛も、ゆったりと車を引くほどの大黒牛になったが、それでも才兵衛はおそれず抱きかかえて、ひとりで大笑いすれば、遊び友達はいまは全く薄気味わるくなり、誰《だれ》も才兵衛と遊ぶ者がなくなって、才兵衛はひとり裏山に登って杉《すぎ》の大木を引抜き、牛よりも大きい岩を崖《がけ》の上から蹴落《けおと》して、つまらなそうにして遊んでいた。十五、六の時にはもう頬《ほお》に髯《ひげ》も生えて三十くらいに見え、へんに重々しく分別ありげな面構《つらがま》えをして、すこしも可愛《かわい》いところがなく、その頃、讃岐に角力《すもう》がはやり、大関には天竺仁太夫《てんじくにだゆう》つづいて鬼石、黒駒《くろこま》、大浪《おおなみ》、いかずち、白滝、青鮫《あおざめ》など、いずれも一癖ありげな名前をつけて、里の牛飼、山家《やまが》の柴男《しばおとこ》、または上方《かみがた》から落ちて来た本職の角力取りなど、四十八手《しじゅうはって》に皮をすりむき骨を砕き、無用の大怪我《おおけが》ばかりして、またこの道にも特別の興ありと見えて、やめられず椴子《どんす》のまわしなどして時々ゆるんでまわしがずり落ちてもにこりとも笑わず、上手《うわて》がどうしたの下手《したて》がどうしたの足癖がどうしたのと、何の事やらこの世
前へ 次へ
全53ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング