にも砕けはせぬかと気が気でなく、
「よせ、よせ。」と言っても、荒磯は、いよいよ笑って和尚の肩をゆすぶるので、どうにも痛くてたまらなくなり、
「おい、おい。おれだ、おれだよ。」と囁《ささや》いて頬被りを取ったら、
「あ、お師匠。おなつかしゅう。」などと言ってる間に和尚は、上手投げという派手な手を使って、ものの見事に荒磯の巨体を宙に一廻転させて、ずでんどうと土俵のまん中に仰向けに倒した。その時の荒磯の形のみっともなかった事、大鯰《おおなまず》が瓢箪《ひょうたん》からすべり落ち、猪《いのしし》が梯子《はしご》からころげ落ちたみたいの言語に絶したぶざまな恰好《かっこう》であったと後々の里の人たちの笑い草にもなった程で、和尚はすばやく人ごみにまぎれて素知らぬ振りで山の庵に帰り、さっぱりした気持で念仏を称《とな》え、荒磯はあばら骨を三本折って、戸板に乗せられて死んだようになって家へ帰り、師匠、あんまりだ、うらみます、とうわごとを言い、その後さまざま養生してもはかどらず、看護の者を足で蹴飛《けと》ばしたりするので、次第にお見舞いをする者もなくなり、ついには、もったいなくも生みの父母に大小便の世話をさせて、さしもの大兵《だいひよう》肥満も骨と皮ばかりになって消えるように息を引きとり、本朝二十不孝の番附《ばんづけ》の大横綱になったという。
[#地から2字上げ](本朝二十不孝、巻五の三、無用の力自慢)
[#改ページ]
猿塚《さるづか》
むかし筑前《ちくぜん》の国、太宰府《だざいふ》の町に、白坂|徳右衛門《とくえもん》とて代々酒屋を営み太宰府一の長者、その息女お蘭《らん》の美形ならびなく、七つ八つの頃《ころ》から見る人すべて瞠若《どうじゃく》し、おのれの鼻垂れの娘の顔を思い出してやけ酒を飲み、町内は明るく浮き浮きして、ことし十に六つ七つ余り、骨細く振袖《ふりそで》も重げに、春光ほのかに身辺をつつみ、生みの母親もわが娘に話かけて、ふと口を噤《つぐ》んで見とれ、名花の誉《ほまれ》は国中にかぐわしく、見ぬ人も見ぬ恋に沈むという有様であった。ここに桑盛次郎右衛門《くわもりじろうえもん》とて、隣町の裕福な質屋の若旦那《わかだんな》、醜男《ぶおとこ》ではないけれども、鼻が大きく目尻《めじり》の垂れ下った何のへんてつも無い律儀《りちぎ》そうな鬚男《ひげおとこ》、歯の綺麗《きれい》なのが取柄
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