の中を通り抜け、さらに三丁、畑の間の細道を歩き、さらに一丁、坂をのぼって八幡宮《はちまんぐう》に参り、八幡宮のお札《ふだ》をもらって同じ道をまっすぐに帰って来るよう、固く申しつける。」との事で、一同これは世にためし無き異なお仕置きと首をかしげたが、おかみのお言いつけなれば致し方なく、ばかばかしくもその日から、夫婦で太鼓をかついで八幡様へお参りして来なければならなくなった。耳ざとい都の人にはいち早くこの珍妙の裁判の噂《うわさ》がひろまり、板倉殿も耄碌《もうろく》したか、紛失の金子の行方も調べずに、ただ矢鱈《やたら》に十人を叱《しか》って太鼓をかつがせお宮参りとは、滅茶《めちゃ》苦茶だ、おおかた智慧者《ちえしゃ》の板倉殿も、このたびの不思議な盗難には手の下し様が無く、やけっぱちで前代|未聞《みもん》の太鼓のお仕置きなど案出して、いい加減にお茶を濁そうという所存に違いない、と物識《ものし》り顔で言う男もあれば、いやいやそうではない、何事につけても敬神崇仏、これを忘れるなという深いお心、むかし支那《しな》に、夫婦が太鼓をかついでお宮まいりをして親の病気の平癒《へいゆ》を祈願したという美談がある、と真面目《まじめ》な顔で嘘《うそ》を言う古老もあり、それはどんな書物に出ています、と突込まれて、それは忘れたがとにかくある、と平気で嘘の上塗りをして、年寄りの話は黙って聞け、と怒ってぎょろりと睨《にら》み、とにかく都の評判になり、それ見に行けとお役所の前に押しかけ、夫婦が太鼓をかついでしずしずと門から出て来ると、わあっと歓声を挙げ、ばんざいと言う者もあり、よう御両人、やけます、と黄色い声で叫ぶ通人もあり、いずれも役人に追い払われ、このたびのお仕置きは、諸見物の立寄る事かたく御法度《ごはっと》、ときびしく申しわたされ、のこり惜しそうに、あとを振り返り振り返り退散して、夫婦はそれどころで無く大不平、なんの因果で、こんな太鼓をかついでのこのこ歩かなければならぬのか、思えば思うほど、いまいましく、ことにも女は、はじめから徳兵衛の事などかくべつ可哀想《かわいそう》とも思わず、一銭の金でも惜しい大晦日《おおみそか》に亭主が勝手に十両などという大金を持ち出し、前後不覚に泥酔して帰宅して、何一ついいことが無かった上に亭主と共にお白洲に呼び出され、太鼓なんか担《かつ》がせられて諸人の恥さらしになるのだ
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