慶坊が、立ち上りかけて、急に劇烈の腹痛にでも襲われたかのように嶮《けわ》しく顔をしかめて、ううむと一声|呻《うめ》き、
「時も時、つまらぬ俳句を作り申した。貧病の薬いただく雪あかり。おのおのがた、それがしの懐に小判一両たしかにあります。いまさら、着物を脱いで打ち振うまでもござらぬ。思いも寄らぬ災難。言い開きも、めめしい。ここで命を。」と言いも終らず、両肌《もろはだ》脱いで脇差《わきざ》しに手を掛ければ、主人はじめ皆々駈け寄って、その手を抑え、
「誰《だれ》もそなたを疑ってはいない。そなたばかりでなく、自分らも皆、その日暮しのあさましい貧者ながら、時に依《よ》って懐中に、一両くらいの金子《きんす》は持っている事もあるさ。貧者は貧者同志、死んで身の潔白を示そうというそなたの気持はわかるが、しかし、誰ひとりそなたを疑う人も無いのに、切腹などは馬鹿らしいではないか。」と口々になだめると、短慶いよいよわが身の不運がうらめしく、なげきはつのり、歯ぎしりして、
「お言葉は有難《ありがた》いが、そのお情《なさけ》も冥途《めいど》への土産。一両|詮議《せんぎ》の大事の時、生憎《あいにく》と一両ふところに持っているというこの間の悪さ。御一同が疑わずとも、このぶざまは消えませぬ。世の物笑い、一期《いちご》の不覚。面目なくて生きて居られぬ。いかにも、この懐中の一両は、それがし昨日、かねて所持せし徳乗《とくじよう》の小柄《こづか》を、坂下の唐物屋《とうぶつや》十左衛門《じゅうざえもん》方へ一両二分にて売って得た金子には相違なけれども、いまさらかかる愚痴めいた申開きも武士の恥辱。何も申さぬ。死なせ給え。不運の友を、いささか不憫《ふびん》と思召《おぼしめ》さば、わが自害の後に、坂下の唐物屋へ行き、その事たしかめ、かばねの恥を、たのむ!」と強く言い放ち、またも脇差し取直してあがいた途端、
「おや?」と主人の原田は叫び、「そこにあるよ。」
 見ると、行燈の下にきらりと小判一枚。
「なんだ、そんなところにあったのか。」
「燈台もと暗しですね。」
「うせ物は、とかく、へんてつもないところから出る。それにつけても、平常の心掛けが大切。」これは山崎。
「いや、まったく人騒がせの小判だ。おかげで酔いがさめました。飲み直しましょう。」とこれは主人の原田。
 口々に言って花やかに笑い崩れた時、勝手元に、
「あれ!
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