私はあなたから、そんなに優しく言われ、慕われると、せつなくなります。この胸が、張り裂けるようでした。オフィリヤ、あなたは、いい子だね。あなたは、きっと正直な子です。おずるいところもあるようだけど、でもまあ、無邪気な、意識しない嘘は、とがめだてするものでない。そんな嘘こそ、かえって美しいのだからね。オフィリヤ、この世の中で、無邪気な娘の言葉ほど、綺麗で楽しいものはないねえ。それに較べると、私たちは、きたない。いやらしい。疲れている。あなたたちが、それでも私を、しんから愛してくれて、いつまでも生きていてくれと祈っている、という言葉を聞いて、私は、たまらなくなりました。ああ、あなたたちの為《ため》にだけでも、私は生きていなければ、ならないのに、オフィリヤ、ゆるしておくれ。」
オフ。「王妃さま、何をおっしゃいます。まるで、あべこべでございます。王妃さまは、何か他の悲しい事を思い出されたのでございましょう。おお、ちょうどよい。ここに腰掛がございます。さ、お坐《すわ》りなさって、お心を落ちつけて下さいませ。王妃さまが、そんなにお泣きなさると、あたし迄《まで》が泣きたくなります。さ、こう並んで腰かけましょう。おや、王妃さま。これは先王さまの御臨終の時の腰掛でございましたね。先王さまが、お庭の此の腰掛にお坐りになって日向《ひなた》ぼっこをなされていると、急に御様子がお悪くなり、あたしたちの駈《か》けつけた時には、もう悲しいお姿になって居られました。あれは、あたしが、新調の赤いドレスをその朝はじめて着てみた日の事でございましたが、あたしは、悲しいやら、くやしいやらで、自分の赤いドレスが緑色に見えてなりませんでした。うんと悲しい時には、赤い色が緑色に見えるようでございます。」
王妃。「オフィリヤ、もう、およし。私は、間違った! 私には、もう、なんにも希望が無いのです。何もかも、つまらない。オフィリヤ、あなたは、これからは気を附けて生きて行くのですよ。」
オフ。「王妃さま、お言葉が、よくわかりませぬ。でも、オフィリヤの事なら、もう御心配いりません。あたしは、ハムレットさまのお子を育てます。」
七 城内の一室
ハムレットひとり。
ハム。「馬鹿だ! 馬鹿だ、馬鹿だ。僕は、大馬鹿野郎だ。いったい、なんの為に生きているのか。朝、起きて、食事をして、うろうろして、夜になれば、寝る。そうして、いつも、遊ぶ事ばかり考えている。三種類の外国語に熟達したが、それも、ただ、外国の好色|淫猥《いんわい》の詩を読みたい為であった。僕の空想の胃袋は、他のひとの五倍も広くて、十倍も貪慾《どんよく》だ。満腹という事を知らぬ。もっと、もっとと強い刺戟《しげき》を求めるのだ。けれども僕は臆病《おくびょう》で、なまけものだから、たいていは刺戟へのあこがれだけで終るのだ。形而上《けいじじょう》の山師。心の内だけの冒険家。書斎の中の航海者。つまり、僕は、とるにも足らぬ夢想家だ。あれこれと刺戟を求めて歩いて、結局は、オフィリヤなどにひっかかり、そうして、それっきりだ。どうやら僕はオフィリヤに、まいってしまっているらしい。だらしの無い話だ。ドンファンを気取って修行の旅に出かけて、まず手はじめにと、ひとりの小娘を、やっとの事で口説き落したが、その娘さんと別れるのが、くるしくて一生そこに住み込んで、身を固めたという笑い話。まず、小手しらべに田舎娘をだましてみて、女ごころというものを研究し、それからおもむろにドンファン修行に旅立とうという所存でいたのに、その田舎娘ひとりの研究に人生七十年を使ってしまったという笑い話。僕は、深刻な表情をしていながら、喜劇のヒロオだ。案外、道化役者の才能があるのかも知れぬ。このごろの僕の周囲は、笑い話で一ぱいだ。たわむれに邪推してみて、ふざけていたら、たしかな証拠があります等と興覚めの恐ろしい事を真顔で言われて、総毛立った。冗談から駒《こま》が出たとは、この事だ。入歯のおふくろが、横恋慕されたというのも相当の喜劇だ。ポローニヤスが、急に仔細《しさい》らしく正義の士に早変りしたというのも噴飯ものだ。僕が、やがてパパになるというのも奇想天外、いや、それよりも何よりも、今夜の此《こ》の朗読劇こそ圧巻だ。ポローニヤスは、たしかに少し気が変になっているのだ。一挙に三十年も四十年も若返り、異様にはしゃぎ出して、朗読劇をやろうなんて言い出すのだから呆《あき》れる。イギリスの女流詩人のなんだか、ひどく甘ったるい大時代の作品を、ポローニヤスが見つけて来て、これを台本にして三人で朗読劇をやろうと言い出す始末なのだから恐れいる。しかもポローニヤスの役は、花嫁というのだから滅モセ。なるほどその詩の内容は、いまの叔父上と母にとっては、ちょっと手痛いかも知れない。ポローニヤスは、此の朗読劇に、王と王妃を招待して、劇の進行中にお二人が、どんな顔をなさるか、ためしてみようという魂胆なのだが、馬鹿な事を考えたものだ。たとい真蒼《まっさお》な顔をなさったところで、それが、どんな証拠になるものか。また、平気で笑っていたとて、それが無罪の証拠になるとは限らぬ。お二人の感覚の、鋭敏遅鈍の判定は出来るだろうが、有罪、無罪の判定にはなりやしない。全く、ポローニヤスは、どうかしている。馬鹿らしいとは思っていながら、僕も又だらし無い。オフィリヤの親爺《おやじ》のご機嫌をそこねたくないばかりに、それはいい考えだなんてお追従《ついしょう》を言って、ホレーショーにも賛成を強要し、三人で朗読の稽古《けいこ》をはじめたのは、きょうの昼過ぎだ。ホレーショーは、最初あんなに気がすすまないような事を言っていながら、稽古がはじまると急に活気づいて来て、ウイッタンバーグの劇研究会仕込みとかいう奇妙な台詞《せりふ》まわしで黄色い声を張りあげていた。あいつは、本当に正直な男だ。自分の感情を、ちっとも加工しないで言動にあらわす。どんな、へまを演じても何だか綺麗だ。いやらしいところが無い。しんから謙譲な、あきらめを知っている男だ。それに較《くら》べて此の僕は、ああ、馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。僕は、あきらめる事を知らない。僕の慾には限りが無い。世界中の女を、ひとり残らず一度は自分のものにしてみたい等と途方も無い事を、のほほん顔で空想しているような馬鹿なのだ。世界中の人間に、しんから敬服されたいものだ、僕の俊敏の頭脳と、卓抜の手腕と、厳酷の人格を時折ちらと見せて、あらゆる人間に瞠目《どうもく》させたい等と頬杖《ほおづえ》ついて、うっとり思案してもみるのだが、さて、僕には、何も出来ない。世界中の女どころか、お隣りの娘さんひとりを持てあまして死ぬほど苦しい思いをしている。卓抜の手腕どころか、僕には国の政治は、なんにもわからぬ。瞠目されるどころか、人に、だまされてばかりいる。人を、こわがってばかりいる。人を、畏敬《いけい》してばかりいる。人が、僕にかたちばかりのお辞儀をしても、僕は、そのお辞儀を、まごころからのものだと思い込んで、たちまち有頂天、発狂気味にさえなって、その人の御期待にお報いせずんばあるべからずと、心にも無い英雄の身振りを示し、取りかえしのつかぬ事になったりして、みんなに嘲笑《ちょうしょう》せられるくらいが落ちさ。人に悪口を言われても、その人の敵意には気が附かず、みんな僕の為を思って、言いにくい悪口でも無理に言ってくれるのだ、ありがたい、この御厚情には、いつの日かお報いせずんばあるべからずと、心の中の手帳にその人の名を恩人として明記して置くという始末なのだ。人から軽蔑《けいべつ》せられても、かえってそれを敬意か愛情と勘違い恐悦がったりして五、六年|経《た》って一夜ふっとその軽蔑だった事に気附いて、畜生! と思うのだが、いや、実に、めでたい! かと思うとその反面に、打算の強いところもあって、友人達に優しくしてやって心の隅《すみ》では、かならずひそかに、情《なさけ》は人のためならず等と考えているんだから、やりきれない男さ。底の知れない馬鹿とは、僕の事だ。どだい僕には、どんな人が偉いんだか、どんな人が悪いんだかその区別さえ、はっきりしない。淋しい顔をしている人が、なんだか偉そうに見えて仕様が無い。ああ、可哀想《かわいそう》だ。人間が可哀想だ。僕も、ホレーショーも可哀想。ポローニヤスも、オフィリヤも、叔父さんもお母さんも、みんな、みんな可哀想だ。僕には、昔から、軽蔑感も憎悪《ぞうお》も、怒りも嫉妬《しっと》も何も無かった。人の真似《まね》をして、憎むの軽蔑するのと騒ぎ立てていただけなんだ。実感としては、何もわからない。人を憎むとは、どういう気持のものか、人を軽蔑する、嫉妬するとは、どんな感じか、何もわからない。ただ一つ、僕が実感として、此の胸が浪打《なみう》つほどによくわかる情緒《じょうちょ》は、おう可哀想という思いだけだ。僕は、この感情一つだけで、二十三年間を生きて来たんだ。他《ほか》には何もわからない。けれども、可哀想だと思っていながら、僕には何も出来ないんだ。ただ、そう思ってそれを言葉で上手に言いあらわす事さえ出来ず、まして行動に於《おい》ては、その胸の内の思いと逆な現象ばかりがあらわれる。なんの事は無い、僕は、なまけ者の大馬鹿なんだ。何の役にも立ちやしない。ああ、可哀想だ。まったく、笑い事じゃない。ホレーショーも、叔父さんも母も、ポローニヤスも、みんな可哀想だ。僕のいのちが役に立つなら、誰にでも差し上げます。このごろ僕には人間がいよいよ可哀想に思われて仕様がないんだ。無い智慧《ちえ》をしぼって懸命に努めても、みんな、悪くなる一方じゃないか。」
ポローニヤス。ハムレット。
ポロ。「ああ、いそがしい。おや、ハムレットさまは、もうこちらへおいでになっていたのですか。どうです、これは、ちょっとした舞台でしょう? わしが先刻《さっき》、毛氈《もうせん》やら空箱《あきばこ》やらを此の部屋に持ち込んで、こんな舞台を作ったのです。なあに、これくらいの舞台で充分に間に合いますよ。朗読劇でございますから、幕も、背景も要りません。そうでしょう? でも、何も無いというのも淋しいので、ここへ、蘇鉄《そてつ》の鉢《はち》を一つ置いてみました。どうです、この植木鉢一つで舞台が、ぐんと引き立って見えるじゃありませんか。」
ハム。「可哀想に。」
ポロ。「なんですって? 何が可哀想なんです。蘇鉄の鉢を、ここへ置いちゃ、いけないとおっしゃるのですか? それじゃ、もっと、舞台の奥のほうに飾りましょうか。なるほど、そう言われてみると、この舞台の端に置かれたんじゃ、蘇鉄の鉢も可哀想だ。いまにも舞台から落っこちそうですものね。」
ハム。「ポローニヤス、可哀想なのは、あなただよ。いや、あなただけでは無く、叔父さんも、母も、みんな可哀想だ。生きている人間みんなが可哀想だ。精一ぱいに堪えて、生きているのに、たのしく笑える一夜さえ無いじゃないか。」
ポロ。「いまさら、また、何をおっしゃる。可哀想だなんて縁起でも無い。あなたは、ひとの折角の計画に水を差して、興覚めさせるような事ばかりおっしゃる。わしは、ただ、あなたのお為を思って、此の度のこんな子供だましのような事をも計画してみたのですよ。わしは、あなた達の正義潔癖の心に共鳴を感じ、真理探求の仲間に参加させてもらったのです。他には、なんの野心もないのです。此の度の、あの怪《け》しからぬ噂《うわさ》が、いったいどこ迄、事実なのか、此の朗読劇を御覧にいれて、ためしてみようという、――」
ハム。「わかった、わかった。ポローニヤス、あなたは、いかにも正義の士だよ。見上げたものです。けれども、自分ひとりの正義感が、他人の平穏な家庭生活を滅茶滅茶《めちゃめちゃ》にぶちこわす事もあります。どちらが、どう悪いというのでは無い。はじめから、人間は、そんな具合に間《ま》がわるく出来ているのだ。叔父さんが、何か悪い事をしているという証拠を得たとて、どうなろう。僕たちみんなが、以前より一そう可哀想になるだけじゃないか
前へ
次へ
全20ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング