たちの策略は、たしかに一応は成功したのだ。ホレーショーは、もう、これで王さまも晴天白日、ハムレット王家万万歳、僕たちは、たとい一時期でもあの噂《うわさ》を信じ、王さまを疑っていたとは恥ずかしい、あんな失礼な朗読劇なんかをやって、後でお叱《しか》りがなければいいが等《など》と言って、全く叔父さんを信用し、かえって自分たちの疑惑に恐縮していたし、城中の人たちも、そろそろ叔父さんを尊敬し直して来たようだ。人の心は、実にたわいが無いものだ。風に吹かれる葦《あし》みたいに、右にでも左にでも、たやすく靡《なび》く。僕だって、あの朗読劇の直後には、ポローニヤスが逆上し錯乱しているものとばかり思って、叔父さんが気の毒でたまらず王の居間へ行ってお詫《わ》びしようかとさえ思ったものだが、あとで落ち附いて考えてみると、冗談じゃない、僕たちは、まんまと一杯くわされたのだという事がわかって、ぞっとした。何か、在るのだ。あの不吉な噂は、嘘でない! 叔父さんとポローニヤスは、悪の一味だ。いまは二人で、腹を合せて悪の露見を必死になって防いでいる。けれども僕には、わかるんだ。僕の眼は、ごまかせない。もう、こうなれば、僕も覚悟をきめなければならぬ。あの人たちは、悪い人だ。ポローニヤスだって、はじめから、何もかも知っていたのだ。それを、正義だの、青年の仲間だのと言って、僕たちを言いくるめて、いい加減に踊らせたのだから天晴《あっぱれ》れな伎倆《ぎりょう》だ。あの人が正義の仲間だったら、天国は満員の鮨詰《すしづ》めで、地獄のほうは、がらあきだ。いや、失敬。つい興奮し過ぎて、ポローニヤスが君のお父さんだという事を忘れていました。でも僕は、ことさらに君の父ひとりを悪く言っているんじゃないからね、叔父さんだって同じ事さ、僕は世の中のおとな一般に就《つ》いて怒っているのだ。そこは誤解のないように。おや、泣いているね。どうしたのです。お父さんの姿が見えないので、心細いというわけか。やっぱり心配なのかね。大丈夫ですよ。いまごろは、王さまの内密の御命令で、いそがしい仕事に没頭しているに違いない。どんな仕事だか、それは僕にもわからぬが、どうせ、ろくな事でない。」
オフ。「泣いてなんかいないわよ。眼にごみが、はいったので、ハンケチでこすっていたのよ。ほら、もう、ごみがとれました。泣いてなんかいないでしょう? ハムレットさまは、いつでも、あたしの気持を、へんに大袈裟《おおげさ》に察して下さるので、あたしは時々、噴き出したくなる事があるの。あたしが、ただうっとりと夕焼けを眺《なが》めて、綺麗《きれい》だなあと思っているのに、ハムレットさまは、あたしの肩にそっとお手を置かれて、わかるよ、くるしいだろうねえ、けれども苦しいのは君だけじゃない、夕焼けの悲しさは、僕にだってよくわかる、けれども、怺えて生きて行こう、もうしばらく、僕ひとりの為にだけでも生きていておくれ、いっそ死にたいという思いを抱いて、それでも忍んで生きている人は、この世に何万人、何十万人もいるのだよ、なんて、まるであたしが、死ぬ事でも考えているかのように、ものものしい事をおっしゃるので、あたしは可笑《おか》しくて、くるしくなります。あたしには、いま、悲しい事なんか一つもありませんわ。いつも、あんたは、へんにお察しがよすぎて、ひとりで大騒ぎをなさるので、あたしは、まごついてしまいます。女なんて、そんなに、いつも深い事を考えているものではございません。ぼんやり生きているものです。父がゆうべから姿を見せぬので、少しは心配でございますが、でも、あたしは、父を信じて居《お》ります。父は、ハムレットさまのおっしゃるような、そんな悪い人ではございません。あなたは、気まぐれですから、きょうは、うんと悪くおっしゃっても、また明日は、ひどくお褒めになる事もございますので、あたしは、ハムレットさまのお言葉は、あまり気にかけない事にしているのですが、でも、ただいまのように、滅茶滅茶に父をお疑いになって、こわい事をおっしゃると、あたしだって泣きたくなります。父は、気の弱い人です。とても興奮し易《やす》いのです。ゆうべの朗読劇とやらは、あたしはこんなからだですから御遠慮して、拝見しませんでしたけれど、もし父が正義のためだと言ってはじめたものなら、きっと、そのとおり、それは、父の正義心から出た催し事だと思います。父は小さい冗談のような嘘《うそ》は、しょっちゅう言って、あたしたちをだましますが、決して大きな、おそろしい嘘は言いません。その点は、まじめな人です。潔癖です。責任感も強い人です。きのうは、きっと父が、ハムレットさまたちの情熱に感激して前繧フ弁《わきま》えも無く、朗読劇なんかをはじめたのだろうと思います。父を、もう少し信頼してやって下さいませ。」
ハ
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