うですし、何にしても合点のゆかぬ事ですね。」
 王。「ガーツルード。芝居の通人《つうじん》は、そんなわかり切った事は言わぬものです。さあ、皆もお坐り。うむ、なかなか舞台もよく出来た。ポローニヤスの装置ですか。意外にも器用ですね。人は、それでも、どこかに取柄《とりえ》があるものだ。」
 ポロ。「たしかに。いまに、もっと器用なところを御覧にいれます。さて、それでは、ハムレットさま、舞台へあがりましょう。ホレーショーどのも、どうぞ。」
 ハム。「アルプスの山よりも、高いような気がする。断頭台に、のぼるか、よいしょ。」
 ホレ。「初演の時は、どなたでも舞台が高くて目まいがします。僕は、三度目だから大丈夫。あ! 足が滑った。」
 ポロ。「ホレーショーどの、気を附けて下さい。空箱《あきばこ》を寄せ集めて作ったのですから、でこぼこがあるのです。では、皆さま。わたしたち三人、これこそは正義の劇団。こよいは、イギリスの或《あ》る女流作家の傑作、『迎え火』という劇詩を演出して御覧にいれまする。不馴《ふな》れの老爺《ろうや》もまじっている劇団ゆえ、むさくるしいところもございましょうが御海容《ごかいよう》のほど願い上げます。ホレーショーどのは、外国仕込みの人気俳優、まず、御挨拶《ごあいさつ》は、そちらから。」
 ホレ。「え? 僕は、その、何も、いや、困ります。僕は、ただ、花聟《はなむこ》の役を演じてみたいと思っているだけなのです。」
 ポロ。「かく申す拙者は、花嫁の役を演じ上げます。」
 王妃。「気味が悪い。ポローニヤスどのは、お酒に酔っているらしい。」
 王。「酒どころか。もっと、ひどい。あの眼《め》つきを見なさい。」
 ハム。「僕は、亡霊の役だそうです。ポローニヤス、早くはじめたら、どうですか。観客が、酔っぱらい劇団だと言っていますよ。」
 ポロ。「なに、酔ってないのは、わしだけさ。ばかばかしいが、はじめましょう。では、皆さま。」

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花嫁。(ポローニヤス。)

恋人よ。やさしいおかた。しっかり抱いて下さいませ。
あの人が、あたしを連れて行こうとします。
ああ、寒い。
松かぜの音のおそろしさ。この冷たい北風は、あたしのからだを凍らせます。
遠い向うの、
遠い向うの、
森のかげから、ちらちら出て来た小さいともし火。
あれは、あたしの迎え火です。

花聟。(ホレーショー。)

おお、抱いてやるとも、私の小鳩《こばと》。
向うの森のあたりには、星がまばたいているだけだ。
あやしい者は、どこにもいない。
朔風《きたかぜ》の勁《つよ》い夜には、星の光も、するどいものです。

亡霊。(ハムレット。)

もし、
もし。
花嫁さん。
一緒においで。よもや、わしを、見忘れた筈《はず》はあるまい。
わしの声は、こがらし。わしの新居は泥《どろ》の底。
わしと一緒に来ておくれ。
氷の寝床に来ておくれ。
呼んでいるのは、私だよ。忘れた筈は、よもや、あるまい。
おいで、と昔ひとこと言えば、はじらいながら寄り添った咲きかけの薔薇《ばら》。
いまは、重く咲き誇るアネモネ。
綺麗《きれい》な嘘《うそ》つき。
おいで。

花嫁。(ポローニヤス。)

あなた。もっと強く抱いて!
あの人は、昔の影で、あたしを苦しめに来ています。
あの人は、冷たい指で、あたしの手頸《てくび》を掴《つか》んでいます。
ああ、あなた。しっかり抱いて下さいませ。あたしのからだが、あなたの腕から、するりと抜けて、あの森の墓地までふわふわ飛んで行きそうです。
あの松籟《まつかぜ》は、人の声。
ふとした迷いから、結んだ昔の約束を、絶えず囁《ささや》く。ひそひそ語る。
あなたもっと強く抱いて!
ああ、おろかしい過去のあやまち。
あたしは、だめだわ。

花聟。(ホレーショー。)

私が、ついている。
なくなった人のことを今更おそれるのは、不要の良心。
私が、ついている。
あやしい者は、どこにもいない。
風の音がこわかったら、しばらく耳をふさいでいなさい。

亡霊。(ハムレット。)

おいで。
耳をふさいでも、目をつぶっても、わしの声は聞える筈、わしの姿も見える筈。
行こう。
さあ、行こう。
むかしの約束のとおりに、わしはお前を大事に守ってあげるつもりだ。
お前の寝床の用意もしてある。醒《さ》めることの無い、おいしい眠りを与えてくれる佳《よ》い寝床だ。
さあ、おいで。
わしの新居は泥の底。ともかくも、ひたむきに一心不乱に歩いて、行きついた道の終りだ。
さあ、行こう。わし達の昔の誓いを果すのだ。

花嫁。(ポローニヤス。)

あなた。
もう、抱いてくださるには及びませぬ。だめなの。
こがらしの声のあの人は、無理矢理あたしを連れて行きます。
左様なら。
あたしがいなくなっても気を落さ
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