そんな具合に僕を解釈していたのかなあ。残念だね。女ってのは、いくら言って聞かせても、駄目《だめ》なものだ。ちっとも、わかっていやしないじゃないか。僕は、甘いさ。あるいは、酔っぱらっているかも知れない。いやらしい。芝居臭い。それも、よかろう。そう見えるんだったら仕方が無い。けれども、僕は、絶対に、いい気になっているわけではないし、自分の愛情だけを純粋で献身的だと思いこみ、人を矢鱈に攻撃してくるしめているわけでも無い。むしろ、その逆だ。僕は、つまらない男なのだ。だらしのない男なのだ。僕は、それが恥ずかしくて、てんてこ舞いをしているのだ。自分のいたらなさ、悪徳を、いやになるほど自分で知っているので、身の置きどころが無いのだ。僕は、絶対に詭弁家ではない。僕は、リアリストだ。なんでも、みな、正確に知っている。自分の馬鹿さ加減も、見っともなさも、全部、正確に知っている。そればかりでは無い。僕は、ひとのうしろ暗さに対しても敏感だ。ひとの秘密を嗅《か》ぎつけるのが早いのだ。これは下劣な習性だ。悪徳が悪徳を発見するという諺《ことわざ》もあるけれど、まさしくそのとおり、ひとの悪徳を素早く指摘できるのは、その悪徳と同じ悪徳を自分も持っているからだ。自分が不義をはたらいている時は、ひとの不義にも敏感だ。誇りになるどころか、実に恥ずべき嗅覚《きゅうかく》だ。僕は、不幸にして、そのいやらしい嗅覚を持っている。僕の疑惑は、いまだ一度も、はずれた事が無いのだ。オフィリヤ、僕は不仕合せな子なんだよ。君には、わかるまい。僕には高邁《こうまい》なところが何も無い。のらくらの、臆病者《おくびょうもの》の、そうして過度の感覚の氾濫《はんらん》だけだ。こんな子は、これから一体、どうして生きて行ったらいいのだ。オフィリヤ、僕が叔父さんや、お母さんや、また、ポローニヤスの悪口を言うのは、何もあの人たちを軽蔑し、嫌悪《けんお》しているからでは無いのだ。僕には、そんな資格が無い。僕は、うらめしいのだ。いつも、あの人たちに裏切られ、捨てられるのが、うらめしいのだ。僕は、あの人たちを信頼し、心の隅《すみ》では尊敬さえしているのに、あの人たちはAへんに僕を警戒し、薄汚いものにでも触るような、おっかなびっくりの苦笑の態度で僕に接して、ああ、あの人たちは、そんなに上品な人たちばかりなのかねえ、いつでも見事に僕を裏切る。打ち明け
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