ましたね。ことしは、いつもより、春が早く来そうな気がします。芝生も、こころもち、薄みどり色になって来た様じゃありませんか。早く、春が来ればよい。冬は、もう、たくさんです。ごらん、小川の氷も溶けてしまった。柳の芽というものは、やわらかくて、本当に可愛《かわい》いものですね。あの芽がのびて風に吹かれ、白い葉裏をちらちら見せながらそよぐ頃《ころ》には、この辺いっぱいに様々の草花も乱れ咲きます。金鳳花《きんぽうげ》、いらくさ、雛菊《ひなぎく》、それから紫蘭《しらん》、あの、紫蘭の花のことを、しもじもの者たちは、なんと呼んでいるか、オフィリヤは、ご存じかな? 顔を赤くしたところを見ると、ご存じのようですね。あの人たちは、どんな、みだらな言葉でも、気軽に口にするので、私には、かえって羨《うら》やましい。オフィリヤたちは、あの、紫蘭の花を何と呼んでいるのですか? まさか、あの露骨な名前で呼んでいるわけでもないでしょう。」
オフ。「いいえ、王妃さま、あたしたちだって、やっぱり、同じ事でございます。幼い時に無心に呼び馴《な》れてしまいましたので、つい、いまでも口から滑って出るのです。あたしばかりではなく、よそのお嬢さん達だって、みんな平気で、あの露骨な名を言って澄まして居ります。」
王妃。「おやおや、そうですか。いまの娘さん達の、あけっぱなしなのには、驚きます。そのほうが、かえって罪が無くて、さっぱりしているのかも知れませんけど。」
オフ。「いいえ。でも、男のひとの居る前では気を附けて、死人の指、なぞという名で呼んでいますの。」
王妃。「なるほど、そうでしょうね。さすがに男のひとの前では言えない、というのも面白い。けれども、死人の指とはまた考えたものですね。死人の指。なるほどねえ。そんな感じがしない事もない。可哀そうな花。金《きん》の指輪をはめた死人の指。おや、悲しくもないのに涙が出ました。こんな歳《とし》になって、つまらぬ花の事で涙を流すなんて、私もずいぶんお馬鹿ですね。女は、いくつになっても、やっぱり甘えたがっているものなのですね。女には、かならず女の、くだらなさがあるものなのでしょう。どう仕様も無いものですね。こんな歳になっても、まだ、デンマークの国よりは雛菊の花一輪のほうを、本当は、こっそり愛しているのですもの。女は、だめですね。いいえ、女だけでなく、私にはこのごろ、
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