右手の親指と人さし指を唇に押し当て、「おう熱い、やけどしちゃった。でも、ねえ、弟だって、わるい気でしているのではないのですからねえ。」とそっぽを向いておっしゃいました。父は、こんどは、お茶碗とお箸を下に置いて、「なんど言ったらわかるのだ。お前たちは、和子を、食いものにしようとしているのだ。」と大きい声でおっしゃって、左手で眼鏡を軽く抑え、それから続けて何か言いかけた時、母は、突然ひいと泣き出しました。前掛《まえかけ》で涙を拭きながら、父の給料の事やら、私たちの洋服代の事やら、いろいろとお金の事を、とても露骨に言い出しました。父は、顎《あご》をしゃくって私と弟に、あっちへ行けというような合図をなさいましたので、私は弟をうながして、勉強室へ引き上げましたが、茶の間のほうからは、それから一時間も、言い争いの声が聞えました。母は、普段は、とても気軽な、さっぱりしたひとなのですが、かっと興奮すると、聞いて居られないような極端な荒い事ばかりおっしゃるので、私は悲しくなります。翌《あく》る日、父は学校のおつとめの帰りに、岩見先生のお家へ、お礼とお詫びにあがったようでした。その朝、父は私にも一緒に行く
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