んなにまで、ひどく言われると、いい気持がしないらしく、そうかねえ、それじゃ和子が可哀想じゃないか、と淋しそうに笑いながら言いました。
 叔父さんの言葉が、あたっていたのかも知れません。私はその翌年に女学校を卒業して、つまり、今は、その叔父さんの悪魔のような予言を、死ぬほど強く憎んでいながら、或《ある》いはそうかも知れぬと心の隅で、こっそり肯定しているところもあるのです。私は、だめな女です。きっと、頭が悪いのです。自分で自分が、わからなくなって来ました。女学校を出たら、急に私は、人が変ってしまいました。私は、毎日毎日、退屈です。家事の手伝いも、花壇の手入れも、お琴の稽古《けいこ》も、弟の世話も、なんでも、みんな馬鹿らしく、父や母にかくれて、こっそり蓮葉な小説ばかり読みふけるようになりました。小説というものは、どうしてこんなに、人の秘密の悪事ばかりを書いているのでしょう。私は、みだらな空想をする、不潔な女になりました。いまこそ私は、いつか叔父さんに教えられたように、私の見た事、感じた事をありのままに書いて神様にお詫びしたいとも思うのですが、私には、その勇気がありません。いいえ、才能が無いのです。それこそ頭に錆《さ》びた鍋《なべ》でも被《かぶ》っているような、とってもやり切れない気持だけです。私には、何も書けません。このごろは、書いてみたいとも思うのです。先日も私は、こっそり筆ならしに、眠り箱という題で、たわいもない或る夜の出来事を手帖に書いて、叔父さんに読んでもらったのでした。すると叔父さんは、それを半分も読まずに手帖を投げ出し、和子、もういい加減に、女流作家はあきらめるのだね、と興醒めた、まじめな顔をして言いました。それからは、叔父さんが、私に、文学というものは特種の才能が無ければ駄目なものだと、苦笑しながら忠告めいた事をおっしゃるようになりました。かえって、いまは父のほうが、好きならやってみてもいいさ、等と気軽に笑って言っているのです。母は時々、金沢ふみ子さんや、それから、他の娘さんでやっぱり一躍有名になったひとの噂を、よそで聞いて来ては興奮して、和子だって、書けば書けるのにねえ、根気《こんき》が無いからいけません、むかし加賀の千代女が、はじめてお師匠さんのところへ俳句を教わりに行った時、まず、ほととぎすという題で作って見よと言われ、早速さまざま作ってお師匠さんにお
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