の上と言っていいのかも知れない。学校の講義はどれもこれも新鮮で、自分の永年の志望も、ここへ来て、やっとかなえてもらえたような気がしている。中でも、解剖学の藤野先生の講義は面白い。別に変ったところも無い講義だが、それでも、やはりあの先生の人格が反映されているのか、自分ばかりでなく、他の生徒もみな楽しそうに聴講している。前学年に及第できなくて原級に留《とどま》った所謂|古狸《ふるだぬき》の連中の話に拠れば、藤野先生は服装に無頓着《むとんじゃく》で、ネクタイをするのを忘れて学校へ出て来られる事がしばしばあり、また冬は、膝小僧《ひざこぞう》をかくす事が出来ないくらいの短い古外套《ふるがいとう》を着て、いつも寒そうにぶるぶる震えて、いつか汽車に乗られた時、車掌は先生を胡散《うさん》くさい者と見てとったらしく、だしぬけに車内の全乗客に向い、このごろ汽車の中に掏摸《すり》が出没していますから皆さま御用心なさい、と叫んだとか、その他、まだまだ面白い逸事があるらしく、お心も高潔のようだし、講義も熱心で含蓄が深いのに、一面に於いてそんな脱俗の風格をお持ちのせいか、クラスの所謂古狸連は、この先生に狎《な》れ
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