業も何も投げ棄ててしまっている有様である。しかし、それも憂国の至情の発するところ、無理もないと思われるのであるが、中にはこのどさくさにまぎれて自身の出世を計画している者もあり、ひどいのは、れいの速成教育で石鹸《せっけん》製造法など学び、わずか一箇月の留学であやしげな卒業証書を得て、これからすぐ帰国して石鹸を製造し、大もうけをするのだ、と大威張りで吹聴《ふいちょう》して歩いている風変りの学生さえあったほどで、自分が時たま、神田|駿河台《するがだい》の清国留学生会館に用事があって出かけて行くと、その度毎に二階で、どしんどしんと物凄《ものすご》い大乱闘でも行われているような音が聞えて、そのために階下の部屋の天井板が振動し、天井の塵《ちり》が落ちて階下はいつも濛々《もうもう》としていた。その変異が、あまり度重なるので、或る日、自分は事務所の人に二階ではどのような騒動が演じられているのかと尋ねたらその事務所の日本人のじいさんは苦笑しながら、あれは学生さんたちがダンスの稽古《けいこ》をしていらっしゃるのですと教えてくれた。もう自分には、このような秀才たちと一緒にいるのがとても堪え切れなくなって来た
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