新橋行きの汽車に乗ったが、窓外の風景をひとめ見て、日本は世界のどこにも無い独自の清潔感を持っていることを直感した。田畑は、おそらく無意識にであろう、美しくきちんと整理されている。それに続く工場街は、黒煙|濛々《もうもう》と空を覆《おお》いながら、その一つ一つの工場の間を爽《さわや》かな風が吹き抜けている感じで、その新鮮な秩序と緊張の気配は、支那において全く見かけられなかったもので、自分はその後、東京の街《まち》を朝早く散歩する度毎に、どの家でも女の人が真新しい手拭《てぬぐい》を頭にかぶって、襷《たすき》をかけて、いそがしげに障子《しょうじ》にはたきをかける姿を見て、その朝日を浴びて可憐《かれん》に緊張している姿こそ、日本の象徴のように思われて神の国の本質をちらと理解できたような気さえしたものだが、それに似たけなげな清潔感を、自分の最初の横浜新橋間の瞥見《べっけん》に依っても容易に看取し得たのである。要するに、過剰が無いのである。倦怠《けんたい》の影が、どこにも澱《よど》んでいないのである。日本に来てよかった、と胸が高鳴り、興奮のため坐っていられず、充分に座席があったのに横浜から新橋まで
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