るのです。これを御覧。」と先生は卓上の新聞を私の方に押してよこした。見ると、その新聞の上段に大きく、
観菊会行幸啓
赤坂離宮に
内外人四千九十二名
などという見出しが掲げられてある。本文を読んでみるまでもなく、私にはわかった。
「国の光の、悠遠靉靆《ゆうえんあいたい》たる事に確信を持とうやないか。」先生は伏目になって、しんみりと言った。「国体の盛徳、とでも申したらよいか、私は戦争の時にひとしお深くそれを感じます。」ふいと語調をかえて、「君は周君の親友か?」
「いいえ、決して、そんな、親友ではないのですけれど、でも、僕はこれから周さんと仲良くしようと思っていたのです。周さんは、僕なんかより、ずっと高い理想をもって、この仙台にやって来たのです。周さんは、お父さんの病気のため、十三の時から三年間、毎日毎日、質屋と薬屋の間を走りまわって暮したのです。そうして、臨終《りんじゅう》のお父さんを喉《のど》が破れるほど呼びつづけて、それでも、お父さんは、死んじゃったんです。その時の、自分の叫びつづけた声が、いまでも耳について、離れないと言っているんです。だから、周さんは、支那の杉田玄白になって、支那の不仕合せな病人を救ってやりたいと言っているのです。それを、それだのに、周さんたちは革命思想の急先鋒《きゅうせんぽう》だから、一面親切、一面監視だの、複雑微妙な外交手腕だの、そんな事、あんまりだと思うんです。あんまりです。周さんは、本当に青年らしい高い理想を持っているんです。青年は、理想を持っていなければ、いけないと思います。そうして、だから、青年は、理想を、理想というものだけを、――」言いかけて、立ったまま泣いてしまった。
「革命思想。」と先生は、ひとりごとのように低く言って、しばらく黙って居られた。やがて窓の方を見ながら、「私の知っている家で、兄は百姓、次男は司法官、末弟は、これは変り者で、役者をしている、そんな家があるのです。はじめは、どうも、やはり兄弟喧嘩《きょうだいげんか》なんかしていたようですが、しかし、いまでは、お互い非常に尊敬し合っているようです。理窟《りくつ》でないんです。何と言ったらいいのかなあ、各人各様にぱっとひらいたつもりでも、それが一つの大きい花なんですね。家、というものは不思議なものです。その家は、地方の名門、と言えば大袈裟《おおげさ》だが、まあ、その地方で古くから続いている家です。そうして、いまでも、やっぱりその地方の人たちから、相変らず信頼されているようです。私は東洋全部が一つの家だと思っている。各人各様にひらいてよい。支那の革命思想に就いては、私も深くは知らないが、あの三民主義というのも、民族の自決、いや、民族の自発、とでもいうようなところに根柢《こんてい》を置いているのではないかと思う。民族の自決というと他人行儀でよそよそしい感じもするが、自発は家の興隆のために最もよろこぶべき現象です。各民族の歴史の開化、と私は考えたい。何も私たちのこまかいおせっかいなど要らぬ事です。数年前、東亜同文会の発会式が、東京の万世倶楽部《まんせいクラブ》で挙げられて、これは私も人から聞いた話ですが、その時、近衛篤麿《このえあつまろ》公が座長に推され、会の目的綱領を審議する段になって、革命派の支持者と清朝《しんちょう》の支持者との間にはげしい議論が持ち上った。両々|相対峙《あいたいじ》して譲らず、一時はこのために会が決裂するかとも思われたが、その時、座長の近衛篤麿公が、やおら立ち上って、支那の革命を主張せられる御意見も、また、清朝を支持し列国の分割を防止せむとせられる御意見も、つまるところは他国に対する内政干渉であって、会の目的としては甚《はなは》だ面白くない。しかし、両説の目標とするところは、共に支那の保全にあるのだから、本会は『支那の保全』を以てその目的としては如何《いかが》であろう、という厳粛な発言を行って満座を抑え、両派共これには異議無く、満場一致|大喝采裡《だいかっさいり》に会の目的が可決され、この『支那の保全』は、爾来《じらい》、わが国の対支国是となっているという事です。私たちは、もうこの上、何も言う事が無い竄ネいか。支那にだって偉い人がたくさんいますよ。私たちの考えている事くらい、支那の先覚者たちも、ちゃんと考えているでしょう。まあ、民族自発ですね。私はそれを期待しています。支那の国情は、また日本とちがっているところもあるのです。支那の革命は、その伝統を破壊するからよろしくないと言っている人もあるようですが、しかし、支那にいい伝統が残っていたから、その伝統の継承者に、革命の気概などが生れたのだとも考えられます。たち切られるのは、形式だけです。家風あるいは国風、その伝統は決して中断されるものではありません。東洋本来の
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