れてはたまらない。私は顔をきつくそむけて、もっぱら松島の風光を愛《め》で楽しむような振りをしていたが、どうも、その秀才らしい生徒が気になって、芭蕉の所謂、「島々の数を尽して欹《そばだ》つものは天を指《ゆびさ》し、伏すものは波にはらばう、あるは二重《ふたえ》にかさなり三重《みえ》にたたみて、左にわかれ、右に連《つらな》る。負えるあり、抱《いだ》けるあり、児孫《じそん》を愛するが如し。松のみどり濃《こま》やかに、枝葉《しよう》汐風《しおかぜ》に吹きたわめて、屈曲おのずからためたる如し。そのけしき※[#「穴かんむり/目」、第3水準1−89−50]然《ようぜん》として美人の顔《かんばせ》を粧《よそお》う。ちはやぶる神の昔、大山《おおやま》つみのなせるわざにや。造化《ぞうか》の天工《てんこう》、いずれの人か筆を揮《ふる》い詞《ことば》を尽さん、云々《うんぬん》。」の絶景も、甚《はなは》だ落ちつかぬ心地《ここち》で眺め、船が雄島の岸に着くやいなや誰よりも先に砂浜に飛び降り、逃げるが如くすたこら山の方へ歩いて行って、やっとひとりになってほっとした。寛政年間、東西遊記を上梓《じょうし》して著名な医師、橘南谿《たちばななんけい》の松島紀行に拠《よ》れば、「松島にあそぶ人は是非ともに舟行すべき事なり、また富山に登るべき事なり」とあるので、その頃すでに松島へ到るには汽車の便などもあったのに、わざわざ塩釜まで歩いて行って、そこから遊覧船に乗り込んでみたのであるが、私とそっくりの新しい制服制帽の、しかも私より遥《はる》かに優秀らしい生徒が乗り合わせていたので、にわかに興が醒《さ》めて、洞庭《どうてい》西湖を恥じざる扶桑《ふそう》第一の好風も、何が何やら、ただ海と島と松と、それだけのものの如く思われて、甚だ残念、とにかくこれから富山に登って、ひとり心ゆくまで松島の全景を鳥瞰《ちょうかん》し、舟行の失敗を埋合わせようと考え、山に向っていそいだものの、さて、富山というのはどこか、かいもく見当がつかぬ。ままよ、何でも、高い所へ登って松島湾全体を眺め渡す事が出来たらいいのだ、それで義理がすむのだ、といまは風流の気持も何も失い、野暮《やぼ》な男の意地で秋草を掻《か》きわけ、まるで出鱈目《でたらめ》に細い山道を走るようにして登って行った。疲れて来ると立ちどまり振りかえって松島湾を見て、いやまだ足らぬ、これ
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