ながら言う。
 私はひらいて、眼を瞠《みは》った。どのペエジも、ほとんど真赤なくらい、こまかく朱筆がいれられてある。
「ひどく直されていますね。誰が直したの?」
「藤野先生。」
 はっと思った。あの日、藤野先生が、ひとりごとのようにしておっしゃった「不言実行」の意味がわかったような気がした。
「いつから?」
「ずっと前から。もう、講義のはじまった時から。」
 周さんは、さらにくわしく説明して、藤野先生が、あの最初の解剖学の発達に就いて講義をなされて、それから一週間ほど経って、たしか土曜日だった、先生の助手が周さんを呼びに来たので、研究室へ行ってみると、先生はれいの人骨のむれに取りかこまれ、にこにこ笑いながら、
「君は、私の講義が筆記できますか?」と尋ねる。
「ええ、どうにか出来るつもりです。」
「どうだかな? ノオトを持って来て見せなさい。」
 周さんがノオトを持って行くと、先生はそれを預って、二、三日経ってから、かえして下さって、そうして、
「これから、一週間毎にノオトを持っておいで。」とおっしゃる。
 周さんは先生から返されたノオトをあけてみて、びっくりした。ノオトは始めから終りまで全部、朱筆が加えられ、たくさんの書落しの箇所が綺麗《きれい》に埋められているばかりか、文法の誤りまで、いちいちこまかく訂正せられているではないか。
「それから、もう、毎週、それが続いているのです。」
 周さんと私とは、しばらく顔を見合せて黙っていた。勉強しよう。藤野先生の講義には、どんな事があっても出席しよう。このように誰にも知られず人生の片隅においてひそかに不言実行せられている小善こそ、この世のまことの宝玉ではなかろうかと思った。このささやかな小事件が、単なる傍観者でしかない私をさえ感奮させ、いままでの怠惰《たいだ》な烏《からす》も、それからはせっせと学校へ通うようになったし、おかげで無事に医師の免状をもらうことも出来て、まあどうやら、ただいまこうして父祖の業を継いでいられるようになったと言ってよいのである。
 ノオトの訂正は、それから後も決して絶える事なく藤野先生みずからの手で黙々と励行せられていたようであったが、私たちが二学年になった秋に、このノオトのため、あまり愉快でない事件が起った。しかし、それは後の話で、とにかく、この明治三十七年の冬から翌年の春にかけて、私にとっては、い
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