僕は明滅するビルデングの灯を、涙で見えなくなるまで眺めていた。その時、或《あ》る紳士に軽く肩を叩《たた》かれたのだ。泣いたのがいけなかったのである。交番に連れて行かれて、けれども僕は、ていねいに取りあつかわれた。父の名が有効だったらしい。兄さんと、木島さんが迎えに来た。三人で自動車に乗って、しばらくして木島さんが、だしぬけに言い出した。
「しかし、日本の警察は、世界一じゃありませんかね。」
兄さんは一言も口をきかなかった。
家の前で自動車から降りる時、兄さんは誰に言うともなく、
「お母さんには何も知らせてないからね。」と口早に言った。
僕はその夜は疲れて、死んだように眠った。そうしてあくる日、兄さんは僕を連れて九十九里浜にやって来た。つまり、きのうの事である。僕たちは磯伝いに歩いて、日没の頃、この別荘に着いたのだ。風呂へはいり、おいしい晩ごはんを食べて、座敷にひっくりかえって寝たら、大きい長い溜息が腹の底からほうと出た。夜は久し振りで、兄さんと蒲団を並べて寝た。
「一高なんかを受けさせて悪かったな。兄さんがいけなかったんだ。」
僕はなんと答えたらいいのだろう。気軽に、いいえ僕が
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