ても、僕は気取っていた。「わかい時から名誉を守れ!」
 扇之介、愚劣なり。酔っても醜怪を極めたり。そうして帰りに、破廉恥《はれんち》な事を僕に囁《ささや》いた。僕が笑ってお断り申したら、扇之介の曰《いわ》く、
「あたしゃ孤独だ。」
 あきれてものが言えない。


 十二月八日。金曜日。
 日光が出ているのか、雨が降っているのか、わからない。始終、泣きたい気持ばかり。名古屋にいるのだ。
 早く東京へ帰りたい。旅興行は、もういやだ。何も言いたくない。書きたくない。ただ、引きずられて生きています。
 性慾《せいよく》の、本質的な意味が何もわからず、ただ具体的な事だけを知っているとは、恥ずかしい。犬みたいだ。


 十二月二十七日。水曜日。
 晴れ。名古屋の公演も終って、今夜、七時半に東京駅に着いた。大阪。名古屋。二箇月振りで帰ると、東京は既に師走《しわす》である。僕も変った。兄さんが、東京駅へ迎えに来てくれていた。僕は、兄さんの顔を見て、ただ、どぎまぎした。兄さんは、おだやかに笑っている。
 僕は、兄さんと、もうはっきり違った世界に住んでいる事を自覚した。僕は日焼けした生活人だ。ロマンチシズムは、もう無いのだ。筋張《すじば》った、意地悪のリアリストだ。変ったなあ。
 黒いソフトをかぶって、背広を着た少年。おしろいの匂《にお》いのする鞄《かばん》をかかえて、東京駅前の広場を歩いている。これがあの、十六歳の春から苦しみに苦しみ抜いた揚句の果に、ぽとりと一粒結晶して落ちた真珠の姿か。あの永い苦悩の、総決算がこの小さい、寒そうな姿一つだ。すれちがう人、ひとりとして僕の二箇年の、滅茶苦茶《めちゃくちゃ》の努力には気がつくまい。よくも死にもせず、発狂もせずに、ねばって来たものだと僕は思っているのだが、よその人は、ただ、あの道楽息子も、とうとう役者に成りさがった、と眉《まゆ》をひそめて言うだろう。芸術家の運命は、いつでも、そんなものだ。
 誰か僕の墓碑に、次のような一句をきざんでくれる人はないか。
「かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!」
 僕の、生れた時からの宿命である。俳優という職業を選んだのも、全く、それ一つのためであった。ああ、日本一、いや、世界一の名優になりたい! そうして皆を、ことにも貧しい人たちを、しびれる程に喜ばせてあげたい。


 十二月二十九日。金曜日。
 晴れ。春秋座、歳末の総会。企画部の委員に、僕が当選した。脚本選定その他、座の方針を審議する幹部直属の委員である。責任の重大さを感じる。
 また、正月二日のラジオ放送、「小僧の神様」の朗読は、市川菊松ひとりに、やらせてみる事に決定された。二箇月の旅興行に於ける僕の奮闘が、認められた結果らしい。けれども僕は、いまは決して自惚《うぬぼ》れてはいない。
 己《おの》れ只《ただ》一人|智《かしこ》からんと欲するは大愚のみ。(ラ・ロシフコオ)
 まじめに努力して行くだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう。知らない事は、知らないと言おう。出来ない事は、出来ないと言おう。思わせ振りを捨てたならば、人生は、意外にも平坦《へいたん》なところらしい。磐《いわ》の上に、小さい家を築こう。
 お正月には、斎藤先生の所へ、まっさきに御年始に行こうと思っている。こんどは逢《あ》ってくれそうな気がする。
 僕は、来年、十八歳。
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わがゆくみちに   はなさきかおり
のどかなれとは   ねがいまつらじ
[#ここから15字下げ]――さんびか第三百十三
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底本:「パンドラの匣」新潮文庫、新潮社
   1973(昭和48)年10月30日発行
   1997(平成9)年12月20日46刷
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:SAME SIDE
校正:細渕紀子
2003年1月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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