分、傍観していよう。
 あすは洋服屋が、洋服の寸法をとりにやって来る筈だ。兄さんは、レインコートも買ってくれると言っていた。だんだん、名実ともに大学生らしくなって行くのだ。流れる水よ。R大学にパスして、やっぱりよかったなあ、と今夜しみじみ思った。も少し経《た》ったら、演劇の勉強も本格的にはじめるつもりだ。兄さんは、まず、演劇のいい先生に紹介してあげると言っている。斎藤《さいとう》氏の事かも知れない。斎藤市蔵氏の作品は、日本ではもう古典のようになっていて、僕なんか批評する資格もないが、内容が、ちょっと常識的なところがあって物足りない。けれども、スケエルは大きいし、先生とするには、あんな人が一ばんいいのかも知れない。
 兄さんは、芸術の道はむずかしいと言っている。けれども、勉強だ。勉強さえして置けば、不安は無い。やってみたいと思う道を、こうしてやってゆけるようになったのも、兄さんのおかげだ。一生涯《いっしょうがい》、助け合って努めて、そうして成功しよう。お母さんだって、いつも、「兄弟仲良く」とおっしゃっているのだ。お母さんも、きっと喜んでくれるだろう。
 兄さんは、さっきからお母さんの部屋で、何か話込んでいる。ずいぶん永い。いよいよ、何かあったのに違いない。じれったい。


 四月十日。月曜日。
 晴れ。学校から正式の合格通知が来る。始業式は二十日である。それまでに洋服が間に合えばいいが。きょう洋服屋さんが、寸法をとりに来た。流行の型でなく、保守的な型のを註文《ちゅうもん》した。流行型の学生服を着て歩くと、頭が悪いように見えるからいけない。じみな型の洋服を着て歩くと、とても、秀才らしく見えるものだ。兄さんも、なんでもない普通の型の学生服を着ていた。そうして、とても秀才らしく見えた。
 夕方、よしちゃんが遊びに来た。商大生、慶ちゃんの妹である。まだ女学生であるが、生意気である。
「R大にはいったんだって? よせばいいのに。」ひどい挨拶である。
「商大はいいからねえ。」と言ってやったら、あんなのもつまらない、と言う。何がいいのかと聞いたら、中学生は、可愛くって一ばんいいと言う。話にならない。
 梅やに、スカートのほころびを縫わせて、縫いあがったら、さっさと帰って行った。また洋服の事だが、女学生の制服ってどうしてあんなに野暮臭く、そうして薄汚いのだろう。も少し、小ざっぱりした
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