うるさいそうである。観客の顔も、どこに誰が来ているという事まで、すぐにわかるようになるそうだ。僕は、まだ、だめだ。夢中だ。いや、生死の境だ。
役を全部すまして、楽屋風呂へはいって、あすから毎日、と思ったら発狂しそうな、たまらぬ嫌悪《けんお》を覚えた。役者は、いやだ! ほんの一瞬間の事であったが、のた打ち廻《まわ》るほど苦しかった。いっそ発狂したい、と思っているうちに、その苦しみが、ふうと消えて、淋《さび》しさだけが残った。なんじら断食《だんじき》するとき、――あの、十六歳の春に日記の巻頭に大きく書きつけて置いたキリストの言葉が、その時、あざやかに蘇《よみがえ》って来た。なんじは断食するとき、頭《かしら》に油をぬり、顔を洗え。くるしみは誰にだってあるのだ。ああ、断食は微笑と共に行え。せめてもうお十年、努力してから、その時には真に怒れ。僕はまだ一つの、創造をさえしていないじゃないか。いや、創造の技術さえ、僕には未だおぼつかない。
さびしく、けれどもミルクを一口《ひとくち》飲んだくらいの甘さを体内に感じて風呂から出た。
団長、市川菊之助の部屋へ挨拶《あいさつ》に行く。
「や、おめでとう。」と言われて、うれしかった。たわいのないものだ。風呂場の暗い懊悩《おうのう》が、団長の明るい一言で、きれいに吹き飛ばされた。木挽町《こびきちょう》で初舞台を踏むという事は、役者として、最もめぐまれた出発なのかも知れない。お前は幸福なのだ、と自身に言い聞かせた。
以上は、わが、光栄の初舞台の記である。
家へ帰って、午前一時頃まで、兄さんを相手に、夢中で天体の話をした。なぜ、天体の話などをはじめたのか、自分にもわからない。
十一月四日。土曜日。
晴れ。いまは大阪。中座《なかざ》。出し物は、「勧進帳《かんじんちょう》」「歌行燈《うたあんどん》」「紅葉狩《もみじがり》」。
僕たちの宿は、道頓堀《どうとんぼり》の、まっただ中。ほてい屋という、じめじめした連込み宿だ。六畳二間に、われら七人の起居なり。けれども、断じて堕落はせじ!
市川菊松は聖人だそうだ。
十一月十二日。日曜日。
雨。ごめんなさい。今晩は酔っぱらっています。大阪は、いやなところですねえ。たいへん淋しい道頓堀です。あの、薄暗い「弥生《やよい》」というバーでお酒を飲みました。そうして、久し振りで酔いました。酔っ
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