他には、なんにも書いていない。
「なんですか、これは。」僕は、さすがに腹が立って来た。愚弄《ぐろう》するにも程度がある。
「ご返事です。」女は、僕の顔を見上げて、無心そうに笑っている。
「春秋座へはいれって言うのですか。」
「そうじゃないでしょうか。」あっさり答える。
僕だって春秋座の存在は知っている。けれども、春秋座は、それこそ大名題《おおなだい》の歌舞伎《かぶき》役者ばかり集って組織している劇団なのだ。とても僕のような学生が、のこのこ出かけて行って団員になれるような劇団ではない。
「これは、無理ですよ。先生の紹介状でもあったらとにかく、」と言いかけたら、青天|霹靂《へきれき》、
「ひとりでやれ!」と奥から一喝《いっかつ》。
仰天した。いるのだ。御本尊が襖《ふすま》の陰にかくれて立って聞いていたのだ。びっくりした。ひどい、じいさんだ。ほうほうの態《てい》で僕は退却した。すごい、じいさんだ。実に、おどろいた。家へ帰って兄さんに、きょうのてんまつを語って聞かせたら、兄さんは腹をかかえて笑った。僕も仕方なしに笑ったけれど、ちょっと、いまいましい気持もあった。
きょうは完全に、やられた。けれども、斎藤先生(これからは斎藤先生と呼ぼう)の奇妙に嗄《しわが》れた一喝に遭って、この二、三日の灰色の雲も、ふっ飛んだ感じだ。ひとりでやろう。春秋座。けれども、それでは一体、どうすればいいのか、まるで見当がつかない。兄さんも、当惑しているようだ。ゆっくり春秋座を研究してみましょう、というのが今夜の僕たちの結論だった。
思いがけない事ばかり、次から次へと起ります。人生は、とても予測が出来ない。信仰の意味が、このごろ本当にわかって来たような気がする。毎日毎日が、奇蹟《きせき》である。いや、生活の、全部が奇蹟だ。
五月十四日。日曜日。
曇。のち、晴れ。二、三日、日記を休んだ。別に変りはなかったからである。このごろ、なんだか気分が重く、以前のように浮き浮き日記を書けなくなった。日記をつける時間さえ惜しいような気がして来て、自重とでも言うのであろうか、くだらぬ事をいちいち日記に書きつけるのは、子供のままごと遊びのようで悲しい事だと思うようになった。自重しなければならぬと、しきりに思う。ベートーヴェンの言葉だけれども、「お前はもう自分の為《ため》の人間であることは許されていない。」
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