政界にはいって、政友会のために働いたのだが、それは、ほんの四、五年間の事で、その前は市井の実業家だった。政界にはいってからの、五六年の間に、財産の大部分が無くなったのだそうだ。僕が財産の事など言うのは可笑《おか》しいけど、お母さんは、ひどくその当時は苦労したらしい。家も、お父さんが死んで間もなく、牛込《うしごめ》のあの大きい家から、いまの此の麹町《こうじまち》の家に引越して来たのだ。そうしてお母さんは病気になって、今でも寝ている。でも僕は、お父さんをちっとも憎めない。お父さんは、僕の事を、坊主《ぼうず》、坊主《ぼうず》と呼んでいた。お父さんに就いての記憶は、あまり残っていない。毎朝、牛乳で顔を洗っていたのだけは、はっきり覚えている。ひどくお洒落《しゃれ》な人だったらしい。客間に飾られてある写真を見ても、端正な立派な顔である。姉さんの顔が一ばんお父さんに似ているのだそうだ。僕の姉さんは、気の毒な人である。姉さんは、ことし二十六である。いよいよ、今月の二十八日にお嫁に行くのである。長い間、お母さんの病気の看護と、僕たち弟の世話のために、お嫁に行けなかったのだ。お母さんは、お父さんの死んだ直後に病床に倒れてしまった。脊髄《せきずい》カリエスなのだ。もう十年ちかく寝たきりである。お母さんは、病人のくせに、とても口が達者で、それにわが儘《まま》で、看護婦をやとっても、すぐに追いやってしまうのだ。姉さんでなければ、いけないのだ。けれども、ことしのお正月に、兄さんが、びしびしとお母さんに言って、とうとう姉さんの結婚を承諾させてしまったのだ。兄さんは、怒る時には、とても凄《すご》い。姉さんの結婚も、もう間近になったから、先月、看護婦の杉野さんが来て、姉さんに教えられながらお母さんのお世話をはじめるようになったのである。お母さんは、ぶつぶつ言いながらも、あきらめて杉野さんの世話を受けているようだ。お母さんも、兄さんには、かなわないらしい。お母さん! 姉さんがいなくなっても、気を落さず、兄さんとそれから僕の為《ため》に、どうか元気を出して下さい。姉さんだって、もう二十六ですから、可哀《かわい》そうです。わあ、いけねえ。ませた事を言った。でも、結婚は、人生の大事件だ。殊に婦人にとって、唯一《ゆいいつ》の大事件と言っていいかも知れないのだ。てれずに、まじめに考えてみましょう。
 姉さんは、
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