していないかも知れぬが、僕はこれから、勝手にそう思い込んで、大いに自重しようと決意しているのだ。自動車に一緒に乗ったのだ。めったに、下手な答案などは書けない。斎藤氏のお顔にもかかわる事だ。畜生め。いまに斎藤氏をおどろかせてあげる。武家物語の重兵衛《じゅうべえ》の役は、芹川《せりかわ》でなくちゃだめだ、と斎藤氏が言うようになったら、うれしいだろうな。いや、甘い空想にふけっている場合ではない。僕は、ずば抜けて優秀な成績でパスしなければならぬのだ。
今夜は、今まで買いためて置いた参考書を、全部、机の上に積み重ねた。
プドフキン「映画俳優論」。コクラン「俳優芸術論」。タイロフ「解放された演劇」。岸田国士《きしだくにお》「近代劇論」。斎藤市蔵「芝居街道五十年」。バルハートゥイ「チェホフのドラマツルギー」。小山内薫「芝居入門」。小宮豊隆《こみやとよたか》「演劇|論叢《ろんそう》」。それから「築地《つきじ》小劇場史」だの「演出論」だの「映画俳優術」だの「演出者ノオト」だの、それから兄さんが貸してくれた「花伝書《かでんしょ》」。「役者論語」。「申楽談義《さるがくだんぎ》」。まずざっと二十冊ちかい之等《これら》の参考書を九日までに一とおり読んでみるつもりだ。それから、英語と仏蘭西《フランス》語の単語も、少し詰め込んで置きたい。
しっかりやらなければならぬ。今夜は、これから、コクランの「俳優芸術論」と、斎藤氏の「芝居街道五十年」を読破するつもりである。
あしたは、写真屋へ行かなければならぬ。
五月八日。月曜日。
雨。きょうは学校を休んだ。何が何やら、さっぱりわからなくなって、この貴重な一週間を、いったいどうして過したのか、学校へ行っても、そわそわして、何でもないのに、にやにや笑ったり、家に帰っては、やたらに部屋の整頓《せいとん》ばかりして、そうして、参考書は一冊も読まなかった。ただ、部屋の中で、うごめいているのである。気持は、刻一刻と狼狽《ろうばい》し、こうして日記を書いていても、手が震えるのである。つまり、あの、緊張したような、胆《きも》を失ったような、厳粛なような、からっぽのような、それでいて、絶えずはらはらして、絶間《たえま》なくお便所へ行っては、よしやろう、勉強しようと、武者ぶるいして部屋へ帰って、また部屋の整頓である。ゆるしてもらえないだろうか。だめなのである
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