なに大仕事のように思われて来るのかね。とにかく、伊東の半箇年は永くて、重苦しく、たっぷりしたものだった。いろいろな思い出がある。その中でも、おそらくこれから十年経っても二十年経っても、いや僕の死ぬまで決して忘れる事が出来ないだろうと思われる妙な事件が一つある。それを話そう。
あれはもう初夏の頃で、そろそろれいの中小都市爆撃がはじまって、熱海伊東の温泉地帯もほどなく焼き払われるだろうということになり、荷物の疎開やら老幼者の避難やらで悲しい活気を呈していた。その頃の事だが、或《あ》る日、昼飯後の休憩時間に、僕は療養所の門のところに立ってぼんやり往来を眺めていた。日でり雨というのか、お天気がよいのに、こまかく金色に光る雨が時々ぱらぱらと降って来る。燕《つばめ》が、道路に腹がすれすれになるくらいに低く飛んで飛び去る。僕はあの時、何を考えていたのだろう。道の向う側の黒い板塀の下に一株の紫陽花《あじさい》が咲いていて、その花がいまでもはっきり頭に残っているところから考えると、或《ある》いは僕はそのとき柄にもなく旅愁に似たセンチメンタルな気持でいたのかも知れないね。
「兵隊さん、雨に濡《ぬ》れてしまいますよ。」
療養所のすじむかいに小さい射的場があって、その店の奥で娘さんが顔を赤くして笑っている。ツネちゃんという娘だ。はたちくらいで、母親は無く、父親は療養所の小使いをしている。大柄な色の白い子で、のんきそうにいつも笑って、この東北の女みたいに意地悪く、男にへんに警戒するような様子もなく、伊豆の女はたいていそうらしいけれど、やっぱり、南国の女はいいね、いや、それは余談だが、とにかくツネちゃんは、療養所の兵隊たちの人気者で、その頃、関西弁の若い色男の兵隊がツネちゃんをどうしたのこうしたのという評判があって、僕もさすがにムシャクシャしていた。いや、君のようにそう言ってしまえばおしまいだけど、べつに僕はその時ツネちゃんの事を考えて、日でり雨を浴びて門の傍に佇《たたず》んでいた、というわけでもないんだよ。いや、そうかも知れない。幽《かす》かに射的場のほうを意識して、僕は紫陽花を眺めたりしてポオズをつけていたのかも知れない。しかし、僕はまさか、ツネちゃんに恋いこがれて、ツネちゃんの射的場へ行こうかどうしようかと、門のところで思い迷っていたというわけでは決してない。だいいち君、僕たちはもう
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