き給え。そうして、みんな飲んでしまってくれ。」
「いや、一緒に飲もう。今夜、君がこれをさげて僕の家へ遊びに来てくれたら、一ばん有難いんだがな。」
「それは、ごめんだ。それだけは、まっぴらだ。二、三日経ってからなら。」
「じゃあ、二、三日経ってからでもいいから遊びに来てくれ。この酒は要《い》らないよ。僕の家にだってあるだろう。」
「無い、無い。金木にはいま、まるっきり清酒が無いんだ。とにかくきょうは、この酒を君が持って行かなくちゃいけない。」
 私たちは金木駅に着くまで、その一升の清酒にこだわった。
 結局、そのお酒は慶四郎君が持って行く事になったが、そのかわり、私も二、三日中に慶四郎君の家へ遊びに行かなければならなくなった。
 そうして約束どおり私は三日後に、慶四郎君の家を訪ねたのであるが、彼は私の贈った清酒一升には少しも手をつけずに私を待っていてくれた。私たちは早速《さっそく》その一升を飲みはじめ、彼の大柄でおとなしそうな細君にも紹介せられ、また十三の男の子をかしらに、三人の子供も見せてもらった。
 そうしてその夜、私は次のような話を彼から聞いた。

 中支に二年、南方に一年いたが、いま思うとまるでもう遠い夢のようで、それにまた、兵隊として走り廻っているのが、この自分では無いような気がして、あの当時の事は、まったく語りたくない。語っても、嘘《うそ》をついているような気がしていけない。それよりも僕には、伊東温泉の半年のほうが、ずっと永くて、そうして自分というこの重苦しい人間の存在が、まごうかたなく生きて動いている感じで、悲しみも喜びも、自分の皮膚にしみ込んで来るような思いがして、僕の三年半の兵隊生活のうちで、君たちに語りたいのは、その最後の六箇月間の療養生活に就《つ》いてだけのような気がする。やっぱり日本人は、内地から一歩外へ出ると、自己喪失とでもいうのか、ふわりと足が浮いて生活を忘れ、まるで駄目になってしまう宿命を負っているのではないかしら。内地では、二、三時間汽車に乗っても、大旅行の感じでとても気疲れがするのだが、外地では十時間二十時間の汽車旅行なんて、まるで隣村へ行くくらいの気軽なものなのだからね。内地の生活の密度が濃いとでもいうのか、または、その密度の濃い生活とぴったり噛み合う歯車が僕たちの頭脳の中にあって、それで気持の弛緩《しかん》が無く一時間の旅でもあん
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