は、芸術家も天才もないんです。」
「あなたは俗物ね。」平気な顔をして言った。「草田のほうが、まだ理解があります。」
 僕に対して、こんな失敬なことを言うお客には帰ってもらうことにしている。僕には、信じている一事があるのだ。誰かれに、わかってもらわなくともいいのだ。いやなら来るな。
「あなたは、何しに来たのですか。お帰りになったらどうですか。」
「帰ります。」少し笑って、「画を、お見せしましょうか。」
「たくさんです。たいていわかっています。」
「そう。」僕の顔を、それこそ穴のあくほど見つめた。「さようなら。」
 帰ってしまった。
 なんという事だ。あのひとは、たしか僕と同じとしの筈だ。十二、三歳の子供さえあるのだ。人におだてられて発狂した。おだてる人も、おだてる人だ。不愉快な事件である。僕は、この事件に対して、恐怖をさえ感じた。
 それから約二箇月間、静子夫人の来訪はなかったが、草田惣兵衛氏からは、その間に五、六回、手紙をもらった。困り切っているらしい。静子夫人は、その後、赤坂のアパートに起居して、はじめは神妙に、中泉画伯のアトリエに通っていたが、やがてその老画伯をも軽蔑して、絵の勉強
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