ってなかなかおいしいものだが、上流の人たちは、この肉を、たいへん汚いものとして捨てるのだ。なるほど、蜆の肉は、お臍《へそ》みたいで醜悪だ。僕は、何も返事が出来なかった。無心な驚きの声であっただけに、手痛かった。ことさらに上品ぶって、そんな質問をするのなら、僕にも応答の仕様がある。けれども、その声は、全く本心からの純粋な驚きの声なのだから、僕は、まいった。なりあがり者の「流行作家」は、箸とおわんを持ったまま、うなだれて、何も言えない。涙が沸《わ》いて出た。あんな手ひどい恥辱を受けた事がなかった。それっきり僕は、草田の家へは行かない。草田の家だけでなく、その後は、他のお金持の家にも、なるべく行かない事にした。そうして僕は、意地になって、貧乏の薄汚い生活を続けた。
昨年の九月、僕の陋屋《ろうおく》の玄関に意外の客人が立っていた。草田惣兵衛氏である。
「静子が来ていませんか。」
「いいえ。」
「本当ですか。」
「どうしたのです。」僕のほうで反問した。
何かわけがあるらしかった。
「家は、ちらかっていますから、外へ出ましょう。」きたない家の中を見せたくなかった。
「そうですね。」と草田氏はおとなしく首肯《うなず》いて、僕のあとについて来た。
少し歩くと、井の頭公園である。公園の林の中を歩きながら、草田氏は語った。
「どうもいけません。こんどは、しくじりました。薬が、ききすぎました。」夫人が、家出をしたというのである。その原因が、実に馬鹿げている。数年前に、夫人の実家が破産した。それから夫人は、妙に冷く取りすました女になった。実家の破産を、非常な恥辱と考えてしまったらしい。なんでもないじゃないか、といくら慰めてやっても、いよいよ、ひがむばかりだという。それを聞いて僕も、お正月の、あの「いただきません」の異様な冷厳が理解できた。静子さんが草田の家にお嫁に来たのは、僕の高等学校時代の事で、その頃は僕も、平気で草田の家にちょいちょい遊びに行っていたし、新夫人の静子さんとも話を交して、一緒に映画を見に行った事さえあったのだが、その頃の新夫人は、決してあんな、骨を刺すような口調でものを言う人ではなかった。無智なくらいに明るく笑うひとだった。あの元旦に、久し振りで顔を合せて、すぐに僕は、何も言葉を交さぬ先から、「変ったなあ」と思っていたのだが、それでは矢張《やは》り、実家の破産という
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