、一字、書いて、それを訂正して行こうとしているのだから、心許《こころもと》ない話である。げに、焼き滅ぼすは一瞬、建設は百年、である。私は、たしかに、いけなかったのだ。私は、生きながらの古典人になろうとしていた。なれるものだと思っていた。あさましく不埒《ふらち》である。きょうよりのちは、世評にも充分の注意を払い、聴くべきは大いに容れ、誤れるは、之《これ》を正す。
 またしても、これは、私生活の上の話ではないか。おまえは、ついさっき、物語のなかに私生活の上の弁解を附加することは邪道であると明言したばかりのところでは無いか。矛盾しないか。矛盾していないのである。そろそろ小説の世界の中にはいって来ているのであるから、読者も、注意が肝要である。
 立ち直る、ということは、さっきも言ったように、これは、容易のことではない。何故といって、私が、どろぼうの話をするに当って、これだけの、ことわり文句が必要であったのである。私は作品に於《お》いてよりも、実生活に就いて、また、私の性格、体質に就いての悪評に於いて、破れかけたのであるから、いま、ひとつのフィクションを物語るにあたっても、これだけの用心が必要な
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