ことが無い。いま少し待っていて下さい。私は、きっと明朗に立ち直る。私は、もとから、自己弁解は、下手《へた》くそである。ことにも、私的な生活に就ての弁明を、このような作品の上で行うことは、これは明らかに邪道のように思われる。芸術作品は、芸術作品として、別個に大事に持扱わなければ、いけないようにも思われる。私は、或《ある》いは、かの物語至上主義者になりつつあるのかも知れない。私生活に就ての手落は、私生活の上で、実際に示すより他は無い。見ていて下さい。いまに私は、諸君と一点うしろ暗いところなく談笑できるほどの男になります。それは、いつわりの無い、白々しく興覚めするほどの、生真面目《きまじめ》なお約束なのであるが、私が、いま、このような乱暴な告白を致したのは、私は、こんな借銭未済の罪こそ犯しているが、いまだかつて、どろぼうは、致したことが無いと言うことを確言したかったからに他ならない。どろぼうは、致したことが無い。ばかばかしく、こだわるようであるが、これにもまた、わけがあるのである。いったいに、私は誤解を受けている。めちゃ苦茶である。さすがに、言うにしのびない、ひどい形容詞を、五つも六つも、も
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