悠然と顛倒していた組に、ちがいなかった。江戸の小咄《こばなし》にも、あるではないか。富籤《とみくじ》が当って、一家狂喜している様を、あるじ、あさましがり、何ほどのこともないさ、たかが千両、どれ銭湯へでも行って、のんびりして来ようか、と言い澄まして、銭湯の、湯槽《ゆぶね》にひたって、ふと気がつくと、足袋をはいていた。まさしく、私もその類《たぐい》であった。ほんとうに、それにちがいなかった。いい気になって、どろぼうを、自分からすすめて家にいれてしまった。
「金を出せえ。」どろぼうは、のっそり部屋へはいるとすぐに、たったいま泣き声出しておゆるし下さいと詫《わ》びたひととは全く別人のような、ばかばかしく荘重な声で、そう言った。おそろしく小さい男である。撫《な》で肩で、それを自分でも内心、恥じているらしく、ことさらに肘《ひじ》を張り、肩をいからして見せるのだが、その気苦労もむなしく、すらりと女形のような優しい撫で肩は、電燈の緑いろを浴びて、まぎれもなかった。頸《くび》がひょろひょろ長く、植物のような感じで、ひ弱く、感冒除《かんぼうよ》けの黒いマスクをして、灰色の大きすぎるハンチングを耳が隠れてしまっているほど、まぶかに被《かぶ》り、流石《さすが》にその顔は伏せて、
「金を出せえ。」こんどは低く、呟くように、その興覚めの言葉を、いかにも自分ながら、ほとほとこれは気のきかない言葉だと自覚しているように、ぞんざいに言った。紺《こん》の印半纏《しるしばんてん》を裏がえしに着ている。その下に、あずき色のちょっと上等なメリヤスのシャツ。私の変に逆上《のぼ》せている気のせいか、かれの胸が、としごろの娘のように、ふっくらふくらんでいるように見えた。カアキ色のズボン。赤い小さな素足に、板|草履《ぞうり》をはいているので私は、むっとした。
「君、失敬じゃないか。草履くらいは、脱ぎたまえ。」
 どろぼうは素直に草履を脱ぎ、雨戸の外にぽんと放擲《ほうてき》した。私は、そのすきに心得顔して、ぱちんと電燈消してしまった。それは、大いに気をきかせたつもりだったのである。
「さあ、電燈を消しました。これであなたも、充分、安心できるというものです。僕は、あなたの顔も、姿も、ちっとも見ていない。なんにも知らない。警察へとどけようにも、言いようがないのです。僕は、あなたの顔も、姿も、なんにも見ていないのだから。と
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