には、そのように親切に警告して呉れる特志家がなかった。私は、それを神の意志に依る前兆のあらわれとも気づかず、あさましい、多少、得意になって、ばかな文句を、繰り返し繰り返し、これは、プルタアクの英雄伝の中にあった文句であろう、どうも文学的教養がありあまって、ちょっと整理もつきかねるて、などと、ああ穴があれば、はいりたい、そう思って湧き上る胸の不安を、なだめすかしていたものだ。
いま考えてみると、その他にも、たくさんの不思議な前兆があった。ずいぶん猛烈のしゃっくりの発作に襲われた。私は鼻をつまんで、三度まわって、それから片手でコップの水を二拝して一息で飲む、というまじないを、再三再四、執拗《しつよう》に試みたが、だめであった。耳の孔《あな》が、しきりに痒《か》ゆい。これも怪しかった。何かしらの異変を思わせるほどに、痒ゆかった。その他にも、いろいろある。ふいと酒を飲みたくなる。トマトを庭へ植えようかと思う。家郷の母へ、御機嫌うかがいの手紙を書きたくなる。これら、突拍子ない衝動は、すべて、どろぼう入来の前兆と考えて、間違いないようだ。読者も、お気をつけるがよい。体験者の言は、必ず、信じなければいけない。
いよいよ、四月十七日。きのうである。この日は、悪い日だった。私は、その日、朝から、しゃっくりに悩まされていた。しゃっくりが二十四時間つづくと、人は、死ぬそうである。けれども、二十四時間つづくことは、めったにないそうである。だから、人は、しゃっくりでは、なかなか死なない。私は、朝の八時から、黄昏《たそがれ》どきまで、十時間ほど、しゃっくりをつづけた。危いところであった。もう少しで死ぬところであった。黄昏どきになって、やっと、しゃっくりもおさまり、けろりとして机のまえに坐っていた。しゃっくりは、それが、おさまったとたんに、けろりとするものである。たったいままでの、あれほどの苦痛を、きれいさっぱり、それこそ、根こそぎに忘却してしまうものである。ああ、いまのしゃっくりは、ひどかったなど、そんな思い出さえ、みじんも浮ばず、心境が青空の如く澄んで一片の雲もなく、大昔から、自分はいちども、しゃっくりなんか、とんと覚えがなかったような落ちつき。私は机に向い、ふと家郷の母に十年振りのお機嫌伺いの手紙を、書きしたためようと、、突拍子もない衝動を感じた。そのときである。パリパリという、幽《か
前へ
次へ
全31ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング