ている人で、この旅行も、そのA氏の招待だったのです。私たち一行は、この時はずいぶんお世話になりました。筆不精の私は、未だにお礼状も何も差し上げていない仕末ですが、こないだの三宅島爆発では、さぞ難儀をなさったろうと思いながら、これまたれいの筆不精でお見舞い状も差し上げず、東京の作家というものは、ずいぶん義理知らずだと王様も呆れていらっしゃるだろうと思います。
次は甲府にいた頃の写真です。少しずつ、また痩せて来ました。東京の郊外の下宿から、鞄《かばん》一つ持って旅に出て、そのまま甲府に住みついてしまったのです。二箇年ほど甲府にいて、甲府で結婚して、それからいまの此《こ》の三鷹《みたか》に移って来たのです。この写真は、甲府の武田神社で家内の弟が写してくれたものですが、さすがにもう、老けた顔になっていますね。ちょうど三十歳だったと思います。けれども、この写真でみると、四十歳以上のおやじみたいですね。人並に苦労したのでしょう。ポーズも何も無く、ただ、ぼんやり立っていますね。いや、足もとの熊笹《くまざさ》を珍らしそうに眺めていますね。まるで、ぼけて居ります。それから、この縁側に腰を掛けて、眼をシ
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