かみを見たら、おかみは、顔を伏せていました。
「先生、お送りします。」
新橋駅で追いつき、そう言いますと、
「来たか。」
と予期していたような口調で言い、
「もう一軒、飲もう。」
雪がちらちら降りはじめていました。
「自動車を拾え。自動車を。」
「どこへ?」
「新宿だ。」
自動車の中で、笠井氏は、
「一ぱい飲んでフウラフラ。二はい飲んでグウラグラ。フウラフラのグウラグラ。」
とお念仏みたいな節《ふし》で低く繰りかえし繰りかえし唄い、そうして、ほとんど眠りかけている様子に見えました。
僕は、いまいましいやら、不安なやら、悲しいやら、外套《がいとう》のポケットから吸いかけの煙草をさぐり出し、寒さにかじかんだれいの問題の細長い指先でつまんで、ライタアの火をつけ、窓外の闇の中に舞い飛ぶ雪片を見ていました。
「伊藤は、こんどいくつになったんだい?」
まるっきり眠りこけているわけでも無かったのでした。二重廻しの襟《えり》に顔を埋めたまま、そう言いました。
僕は、自分の年齢を告げました。
「若いなあ。おどろいた。それじゃ、まあ、無理もないが、しかし、女の事は気をつけろ。僕は何も、あの女が特に悪いというのじゃない。あのひとの事は、僕は何も知らん。また、知ろうとも思わない。いや、よしんば知っていたって、とやかく言う資格は僕には無い。僕は局外者だ。どだい、何も興味が無いんだ。だけど僕には、なぜだか、お前ひとりを惜しむ気持があるんだ。惜しい。すき好んで、自分から地獄行きを志願する必要は無いと思うんだ。君のいまの気持くらい、僕だって知ってるさ。そりゃお前の百倍もそれ以上ものたくさんの女に惚れられたものだ。本当さ。しかし、いつでも地獄の思いだったなあ。わからねえんだ。女の気持が、わからなくなって来るんだ。僕はね、人類、猿類、などという動物学上の区別の仕方は、あれは間違いだと思っている。男類、女類、猿類、とこう来なくちゃいけない。全然、種属がちがうのだ。からだがちがっているのと同様に、その思考の方法も、会話の意味も、匂い、音、風景などに対する反応の仕方も、まるっきり違っているのだ。女のからだにならない限り、絶対に男類には理解できない不思議な世界に女というものは平然と住んでいるのだ。君は、ためしてみた事があるかね。駅のプラットフォームに立って、やや遠い風景を眺《なが》め、それから
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