正確に為す目的を以て、いま一週二回の割合いでタングシチュウを、もりもり食べているというのである。タングシチュウは、ご存じの如く、牛の舌のシチュウである。牛の脚の肉などよりは、直接、舌のほうに効目《ききめ》があろうという心意気らしい。驚くべきことは、このごろ、めきめき彼女の舌は長くなり、Lの発音も西洋人のそれとほとんど変らなくなったという現象である。これは、私も又聞で直接に、その勇敢な女生徒にお目にかかったことは無いのだから、いま諸君に報告するに当って、多少のはにかみを覚えるのであるが、けれども、私は之をあり得ることだと思っているのである。女性の細胞の同化力には、実に驚くべきものがあるからである。狐《きつね》の襟巻《えりまき》をすると、急に嘘つきになるマダムがいた。ふだんは、実に謙遜なつつましい奥さんであるのだが、一旦、狐の襟巻を用い、外出すると、たちまち狡猾《こうかつ》きわまる嘘つきに変化している。狐は、私が動物園で、つくづく観察したところに依っても、決して狡猾な悪性のものでは無かった。むしろ、内気な、つつましい動物である。狐が化けるなどは、狐にとって、とんでも無い冤罪《えんざい》であろうと思う。もし化け得るものならば何もあんな、せま苦しい檻《おり》の中で、みっともなくうろうろして暮している必要はない。とかげにでも化けてするりと檻から脱け出られる筈《はず》だ。それができないところを見ると、狐は化ける動物では無いのだ。買いかぶりも甚《はなはだ》しい。そのマダムもまた、狐は人をだますものだと単純に盲信しているらしく、誰もたのみもせぬのに、襟巻を用いる度毎に、わざわざ嘘つきになって見せてくれる。御苦労なことである。狐がマダムを嘘つきにしているのでは無く、マダムのほうから、そのマダムの空想の狐にすすんで同化して見せているのである。この場合も、さきの盲目の女の話と酷似しているものがあると思う。その兎の目は、ちっとも猟夫を恐怖していないばかりか、どだい猟夫というものを見たことさえないのに、それを保有した女のほうで、わざわざ猟夫を恐怖する。狐が人をだますものでもないのに、その毛皮を保有したマダムが、わざわざ人をだます。その心理状態は、両女ほとんど同一である。前者は、実在の兎以上に、兎と化し、後者も亦、実在の狐以上に、狐に化して、そうして平気である。奇怪というべきである。女性の皮膚
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