も無かった。唯一度檻房へ来た事のある牧師に当てて、書き掛けた短い手紙が一通あった。牧師は誠実に女房の霊を救おうと思って来たのか、物珍らしく思って来て見たのか、それは分からぬが、兎《と》に角《かく》一度来たのである。この手紙は牧師の二度と来ぬように、謂《い》わば牧師を避けるために書く積りで書き始めたものらしい。煩悶《はんもん》して、こんな手紙を書き掛けた女の心を、その文句が幽《かす》かに照しているのである。
「先日お出でになった時、大層御尊信なすってお出での様子で、お話になった、あのイエス・クリストのお名に掛けて、お願致します。どうぞ二度とお尋下さいますな。わたくしの申す事を御信用下さい。わたくしの考では若しイエスがまだ生きてお出《い》でなされたなら、あなたがわたくしの所へお出でなさるのを、お遮《さえぎ》りなさる事でしょう。昔天国の門に立たせて置かれた、あの天使のように、イエスは燃える抜身を手にお持になって、わたくしのいる檻房へ這入《はい》ろうとする人をお留《とめ》なさると存じます。わたくしはこの檻房から、わたくしの逃げ出して来た、元の天国へ帰りたくありません。よしや天使が薔薇《ばら》の
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