京の大学へはいるようになったら、もうそれっきり、十数年間帰郷しなかったのであるから、津軽という国に就いてはまるで知らないと言ってよかった。私はゲートルを着け、生れてはじめて津軽の国の隅々まで歩きまわってみた。蟹田《かにた》から青森まで、小さい蒸気船の屋根の上に、みすぼらしい服装で仰向に寝ころがり、小雨が降って来て濡《ぬ》れてもじっとしていて、蟹田の土産《みやげ》の蟹の脚をポリポリかじりながら、暗鬱《あんうつ》な低い空を見上げていた時の、淋《さび》しさなどは忘れ難い。結局、私がこの旅行で見つけたものは「津軽のつたなさ」というものであった。拙劣さである。不器用さである。文化の表現方法の無い戸惑いである。私はまた、自身にもそれを感じた。けれども同時に私は、それに健康を感じた。ここから、何かしら全然あたらしい文化(私は、文化という言葉に、ぞっとする。むかしは文花と書いたようである)そんなものが、生れるのではなかろうか。愛情のあたらしい表現が生れるのではなかろうか。私は、自分の血の中の純粋の津軽|気質《かたぎ》に、自信に似たものを感じて帰京したのである。つまり私は、津軽には文化なんてものは無く、
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