財産が無いので、他の人よりも苦しみが強く来ました。私のことしの収入は、××円です。そうして、いま手許《てもと》に残っているお金は、××円です。しかし、私は誰からもお金を借りないつもりです。故郷の兄に、よっぽど借金申込みの手紙を出そうかと、思った夜もございましたが、やめにしました。こうなると、糞意地です。私は死ぬる前夜まで、大いに景気のいい顔をしてはしゃいでいるつもりです。そうして、あくまでも小説だけを書いて行きます。しかし、まさか、戦争|礼讃《らいさん》の小説などは書く気はしません。
 たったこれだけの事ですが、あなたに知って置いていただきたいと思います。私の身にも、いつ、どのような事があるかわかりませんから。この手紙には、御返事も何も要りません。御一読後は、ただちに破棄して下さい。以上。
 だいたい、こんな意味の手紙を、その先輩にこっそり出した事がある。愚痴をこぼしてさえ、非国民あつかいを受けなければならなかったのだから、思えば、ひどい時代だった。
 そんな手紙を出して、一箇月ばかり経った頃、私はその先輩と偶然、新宿で出逢《であ》った。私たちは何も言わずに黙って一緒に歩いた。しばらく
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