せなければならなかつたのである。私の學校ぎらひはその頃になつて、いつそうひどかつたのであるが、何かに追はれてゐる私は、それでも一途に勉強してゐた。私はそこから汽車で學校へかよつた。日曜毎に友人たちが遊びに來るのだ。私たちは、もう、みよの事を忘れたやうにしてゐた。私は友人たちと必ずピクニツクにでかけた。海岸のひらたい岩の上で、肉鍋をこさへ、葡萄酒をのんだ。弟は聲もよくて多くのあたらしい歌を知つてゐたから、私たちはそれらを弟に教へてもらつて、聲をそろへて歌つた。遊びつかれてその岩の上で眠つて、眼がさめると潮が滿ちて陸つづきだつた筈のその岩が、いつか離れ島になつてゐるので、私たちはまだ夢から醒めないでゐるやうな氣がするのである。
 私はこの友人たちと一日でも逢はなかつたら淋しいのだ。そのころの事であるが、或る野分のあらい日に、私は學校で教師につよく兩頬をなぐられた。それが偶然にも私の仁侠的な行爲からそんな處罰を受けたのだから、私の友人たちは怒つた。その日の放課後、四年生全部が博物教室へ集つて、その教師の追放について協議したのである。ストライキ、ストライキ、と聲高くさけぶ生徒もあつた。私は狼狽
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