。私は下男たちを助ける名の陰で、私の顏色をよくする事をも計つてゐたのであつたが、それほど勞働してさへ私の顏色はよくならなかつたのである。
中學校にはひるやうになつてから、私はスポオツに依つていい顏色を得ようと思ひたつて、暑いじぶんには、學校の歸りしなに必ず海へはひつて泳いだ。私は胸泳といつて雨蛙のやうに兩脚をひらいて泳ぐ方法を好んだ。頭を水から眞直に出して泳ぐのだから、波の起伏のこまかい縞目も、岸の青葉も、流れる雲も、みんな泳ぎながらに眺められるのだ。私は龜のやうに頭をすつとできるだけ高くのばして泳いだ。すこしでも顏を太陽に近寄せて、早く日燒がしたいからであつた。
また、私のゐたうちの裏がひろい墓地だつたので、私はそこへ百米の直線コオスを作り、ひとりでまじめに走つた。その墓地はたかいポプラの繁みで圍まれてゐて、はしり疲れると私はそこの卒堵婆の文字などを讀み讀みしながらぶらついた。月穿潭底とか、三界唯一心とかの句をいまでも忘れずにゐる。ある日私は、錢苔《ぜにごけ》のいつぱい生えてゐる黒くしめつた墓石に、寂性清寥居士といふ名前を見つけてかなり心を騷がせ、その墓のまへに新しく飾られてあつ
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